国宝・彦根城を歩く。 その3 <太鼓丸~太鼓門櫓~本丸>
「その2」のつづきです。
天秤櫓の内側は太鼓丸と呼ばれる曲輪です。
太鼓丸は鐘の丸と本丸の間の通路のような曲輪で、平坦なスペースは少なく、緩やかな傾斜の中央に不規則な石段が通っています。
例によって、幅の不規則な石段が左ドッグレッグで伸びています。
前稿でも述べたとおり、これは寄せ手の歩調を乱すために意図的に造られたものです。
いかにも登りづらそうです。
こちらは、太鼓丸の発掘調査の説明板。
その説明によると、石田三成の居城・佐和山城から持ってきたと考えられる瓦破片が一定量出土したそうで、なかには豊臣秀吉が築城した伏見城でしか現在確認されていない軒平瓦が出土しているそうです。
石段の上に、櫓が見えてきました。
反対側には、鐘楼があります。
太鼓丸なのに、太鼓楼じゃなくて鐘楼?
説明板によると、かつては鐘の丸にあったそうですが、城下の北の隅に届かなかったので、この場所に移したそうです。
なるほど。
この鐘は第12代藩主・井伊直亮の弘化元年(1844年)に鋳造したものだそうです。
太鼓丸最上段まで上ってきました。
太鼓門櫓と続櫓です。
この櫓も前稿で紹介した天秤櫓と同じく築城時からの現存櫓で、築城時にほかの場所から移築された建物です。
これも重要文化財。
太鼓門櫓というくらいですから、この中に太鼓が置かれていたのでしょうね。
説明板です。
太鼓門櫓をくぐると、いよいよ本丸に入ります。
太鼓門の中は枡形になっています。
本丸です。
なんか天守に足場がかけられています。
どうやら修復工事中のようです。
こちらは本丸から見た太鼓門櫓と続櫓。
本丸から太鼓門櫓の外側を見下ろします。
本丸の説明板です。
本丸には、かつて御広間や宝蔵、矢櫓・着見櫓などがあったそうですが、天守以外の建物は明治に入って取り壊されました。
天守に行く前に、本丸を歩いてみましょう。
こちらは本丸東側の着見櫓跡。
読みは「つきみやぐら」ですが、「月見櫓」ではなく「着見櫓」なんですね。
その説明板です。
着見櫓跡からの北側眺望。
琵琶湖が見えます。
北東には石田三成の佐和山城跡が見えます。
佐和山城跡にズーム。
「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」
とうたわれるほどの名城だったとか。
その遥か向こうには、近江国最高峰(標高約1377m)の伊吹山が。
南東には、「その1」で紹介した佐和口御門が見えます。
佐和口御門にズームイン。
こちらは別の展望台から見た南西の眺望。
琵琶湖が見えます。
たぶん、写真左側の山のずっと向こうに、安土城跡があります。
さて、いよいよ国宝の天守に向かいたいと思いますが、長くなっちゃったので、つづきは「その4」にて。
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by sakanoueno-kumo | 2020-01-11 13:45 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)