国宝・彦根城を歩く。 その6 <楽々園~玄宮園>
「その5」のつづきです。
今回は彦根城内堀の東側の外にある庭園、楽々園と玄宮園を歩きます。
写真は楽々園に通じる黒御門跡です。
ここから、また別の入稿券が必要です。
門を入ってすぐに架かる橋の上から見た内堀です。
楽々園に入ってすぐに、「井伊直弼生誕地」という石碑と、槻御殿の説明板があったのですが、肝心の槻御殿は修復工事中で見れませんでした。
残念。
楽々園は、彦根藩第4代藩主・井伊直興によって建立された彦根藩の二の丸御殿で、槻御殿と呼ばれていました。
槻御殿は延宝5年(1677年)に着工し、同7年に完成した下屋敷で、その木材はすべて槻を使用していたことから、そう呼ばれたそうです。
第15代藩主・井伊直弼もここで生まれました。
第12代藩主・井伊直亮が文化年間(1804年~1817年)に楽々の間を増築して以来、槻御殿という名称よりも楽々園の名のほうが有名になったそうです。
楽々園御書院の玄関です。
こちらは南東側から見た御書院。
左が地震の間、右が楽々の間です。
庭園です。
現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び分けています。
こちらは八景亭(臨池閣)。
こちらは、玄宮園内にある鳳翔台。
鳳凰が大空に向かって舞い上がる場所という意味で名付けられたと伝わる高台で、江戸時代に描かれた「玄宮園図」に玄宮園十景の1つとして描かれているそうです。
そして、広大な玄宮園です。
玄宮園は、江戸時代には「槻之御庭」と呼ばれていました。
玄宮園の名は、古代中国の宮廷の名によって命名されたと考えられているそうです。
玄宮園は、広大な池水を中心に、池中の島や入江に架かる9つの橋などにより、変化に富んだ回遊式庭園となっています。
西に天守が見えます。
ズームします。
ここを訪れた昨年の平成30年(2018年)7月1日、天守は改修工事中で足場がかけられていました。
ちょっと残念。
いろんな角度から天守と庭園を見てみましょう。
正直なところ、わたしは城跡は大好きで少しばかり詳しいつもりでいますが、日本庭園にはそれほど興味はなく、ここでウンチクを語るだけの知識がありません。
井伊家のお殿さんの隠居場ということで、とりあえずひと通り歩きました。
「その7」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2020-01-16 00:24 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)