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麒麟がくる 第1話「光秀、西へ」 ~明智光秀の出自~

さて、2週遅れで令和2年(2020年)の大河ドラマ『麒麟がくる』が始まりました。いろいろありましたが、まずは初回放送に間に合わせてくれとことを感謝します。役者さんもさることながら、セットの再建や再編集など、スタッフさんの撮り直しにかかる労力はたいへんなものだったろうと想像します。昨今の働き方改革の影響で、テレビ局の制作などへの規制も厳しく制限されるようになったと聞きますしね(かつては、大河ドラマの現場スタッフは不眠不休が当たり前だったと聞きますが、今はそれができないとか)。第1話が撮り直し前と同じに仕上がったのか、あるいは、少し構成が変わってしまったのかはわかりませんが、とにかく、第1話を観ることができて安堵しています。


麒麟がくる 第1話「光秀、西へ」 ~明智光秀の出自~_e0158128_19245426.jpg さて、明智光秀を主人公とする物語ですが、その冒頭は、美濃国明智荘から始まります。現在でいえば岐阜県可児市瀬田にあたりますが、実は、明智光秀の出自については諸説あって定かではありません。ひとつは上述した岐阜県可児市瀬田で、ここにはいまは「明智」という地名は残っていませんが、かつては明智荘という荘園がありました。もうひとつの説は、現在も「明智」という地名が残る岐阜県恵那市明智町で、ここには現在も光秀ゆかりと伝わる史跡が数多くあります。また、別の説では、岐阜県山県市美山町説や、近江国の佐目の里(滋賀県犬上郡多賀町佐目)説もあります。そのなかで、いろんな根拠から最も多くの歴史家さんに支持されているのが可児市の明智荘説で、ドラマでもその説が採られていました。


 また、ドラマ中、光秀と母・お牧との会話のなかで、明智家は土岐源氏の一族であることがふれられていましたが、実は、これも諸説あるなかのひとつで、詳らかではありません。一般的には、土岐源氏の支流である明智氏の当主という認識が通説となっていますが、この説の出典は後世に書かれた『明智軍記』によるもので、同書は良質な史料とはいえず、この説を鵜呑みにすることはできません。土岐明智氏とはまったく無縁の地侍だったという説や、土岐明智氏の支流ではあるものの、よくいわれるような明智城主の子というような身分ではなく、もっと低い身分の明智氏だったという説もあります。となると、土岐氏に代わって美濃国主となった斎藤道三に仕えたという説も、これまた定かではありません。つまり、光秀の前半生というのは、ほとんどなんですね。


 そんな謎の男・光秀の物語ですから、その前半はほとんどフィクションになります。したがって、今話で京、堺を旅したという話も当然フィクション。ただ、何の脈略ない作り話というわけでもなく、そこにはちゃんと逸話が散りばめられていましたね。まずは鉄砲。光秀は鉄砲術の名手だったといわれ、後年、その技術と知識を織田信長から大いに重宝されたといいます。その鉄砲術をどこで身につけたのか。のちに光秀が身を寄せることになる福井県の称念寺の伝承によると、「堺で鉄砲を学んだ」と記されています。また、斎藤道三が鉄砲に興味を持ち、光秀に習熟するよう命じたという説も。ドラマでは逆に光秀が自己アピールしていましたが、ない話でもないのかなと。


麒麟がくる 第1話「光秀、西へ」 ~明智光秀の出自~_e0158128_19245940.jpg その鉄砲を買い付けに行った先で松永久秀に出会いましたね。のちに織田信長に仕え、同じく反旗を翻すことになるふたりが早くも顔合わせです。ここに荒木村重が加われば三者揃い踏みだったんですけどね(笑)。その久秀が光秀に対して、自分は光秀の主君である斎藤利政を尊敬しているといい、「一介の油売りから立身した父の代から、わずか二代で成り上がった天下一の人物」と絶賛します。ここで注目すべきは、「父子二代」というところ。かつては道三一代で一介の油売りから美濃国主まで成り上がったといわれ、司馬遼太郎『国盗り物語』をはじめ多くの物語でそのように描かれてきた道三でしたが、近年見つかった新史料により、油売りから美濃の侍になったのが道三の父で、その後、下剋上で国主となったのが道三という親子二代にわたっての国盗り物語が主流となっています。たった1枚の書状で通説は覆りました。今回のドラマでは、その新説に基づいて描かれるようですね。


 あと、最後に出てきた道三の娘・帰蝶こと濃姫ですが、勇ましく馬に乗って現れ、戦支度をする父・道三に対して「御陣に加えて欲しい」という帰蝶に対し、道三は「嫁に出した娘に加勢を頼むほど落ちぶれてはおらん!」と一蹴します。まあ、当然の応対ですが、ここで聞き逃してはならないのは、「嫁に出した娘」という台詞。のちに織田信長の正妻となる帰蝶ですが、あまり知られてはいませんが、帰蝶は信長と結婚する前に、美濃国守護・土岐頼芸の甥の土岐頼純輿入れしたという説があります。道三から見れば主筋となる土岐家への輿入れであることから、妾ではなく正妻の娘を輿入れさせたとみるべきで、この場合、正妻の小見の方を母とする帰蝶が輿入れしたのではないか、とする説です。とすれば、帰蝶は信長に嫁ぐときはバツイチだったということになりますね。この帰蝶バツイチ説は、これまでのドラマなどではあまり採られていません。ただ、帰蝶という女性については、光秀以上にが多く、その生年も死も、その名前すら定かではありません。今回の帰蝶は勇ましい女性のようですね。


 とにもかくにも、第1話はプロローグの回といってよく、物語は始まったばかりです。第1話を観た感じでは、久々に王道の大河ドラマが観れそうな予感。今後の展開が楽しみです。



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by sakanoueno-kumo | 2020-01-20 19:28 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(6)  

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Commented by 60代の歴史好きなおじさん at 2020-01-21 16:59 x
早速ですが、、。今年もよろしくお願いします。「ときは今 あめが下知る 五月かな」この句があるので土岐源氏だと私は思っていました。今考えると「源氏ロンダリング」だったかもしれませんね。また、二代で城主となった斎藤道三。司馬遼太郎の「国盗り物語では」信長と面会した折、「婿殿は生まれた時は城主だが、わしは一代で城主まで上り詰めてもうこの歳、まだまだ上に登り天下もとれますぞ!」という台詞(正確ではない)がしらじらしく思い出せます。司馬遼太郎マジックがまたひとつ解けました。今年も勉強させて頂きます。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-01-22 21:27
> 60代の歴史好きなおじさんさん

おっしゃるように、「ときは今」の隠語が「土岐」ならば、土岐源氏の血筋でしょうね。
最近の歴史家さんたちの見解では、土岐氏は土岐氏でも、よくいわれる明智城の城主の子というような身分ではなく、支流の支流の支流ぐらいの低い身分だったのではないか、と説かれる方が多いですが、わたしは、やはり光秀は土岐源氏の、しかもそれなりの地位の家柄だったんじゃないかと思っています。
土岐氏のボンボンだったからこそ、朝倉氏とも接することができ、細川幽斎とも昵懇の仲になり、足利義昭からも信頼されたのではないかと。

道三の件も、わたしは心のどこかで、まだ一代の国盗りを信じたいという思いがあります。
新説が主流となったのは、六角承禎の書状の記述ただ1点だけの論証で、あるいは、承禎の勘違いかもしれないじゃないですか。
承禎だって、実際に道三とあったことないわけですし。
通説が覆ると、往々にしてロマンがなくなることが多いのが残念です。
わたしは学者じゃないので、歴史をドラマチックに見たいですね。
今年も宜しくお願いします。
Commented by heitaroh at 2020-02-19 08:30
濃姫バツイチ説は初めて知りました。まあ、人質なのでしょうし、他に娘がいないのなら仕方がなかったでしょうから、あり得ない話ではないでしょうが、周囲が納得するくらい間が空いてないと世嗣ぎが出来た際、面倒なことになりますよね。いいのかなと。
ただ、あの設定なら沢尻エリカのほうが良かったのかなと。いるんですよ。実家の利害代理人みたいになる嫁って(笑)。
私はむしろ、奴隷も戦災孤児も、出てくる人たちみんなが、見るからに新品の服を着ていることに違和感をもちましたね。黒沢かずこの父は色にも拘ったのかもしれませんが、着こんだリアリティー感にも拘った人だっただけに、もう少し何とかならないのかなと。
まあ、あの映像見ても違和感をもたないのが令和なのかもしれませんが。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-02-19 17:10
> heitarohさん

濃姫バツイチ説は、わたしも横山住雄という濃尾地方の郷土史家の方の著書『斎藤道三、義龍、龍興』を読んで知りました。
もっとも、先日、NHKの歴史秘話ヒストリアを観ていると、濃姫バツ2説が紹介されていましたよ。
その説によると、最初の夫も2人目の夫も道三に毒殺されたのだとか。
まあ、道三ならやりそうですが。
沢尻エリカだったら、自ら毒を盛りそうでヤバいです(笑)。

あの派手な衣装は賛否両論あるようですね。
黒澤和子さんの話によれば、いままで戦国時代というのは白黒茶色系の渋い衣装が用いられることが多かったですが、実は逆で、とにかく派手な原色の着物が好まれた時代だったそうです。
それは武士階級のみならず、当時の町の様子を描いた絵などを見ても、庶民も派手な着物を着ているのだとか。
それで、今回はあえてカラフルな衣装デザインをしているそうです。
そのあたりは、わたしは知識がないのでわかりませんが、たしかに、江戸時代と違って自己主張の時代、目立ってなんぼの時代だったでしょうから、派手な着物が好まれたというのは事実なのかもしれません。
でも、たしかに、奴隷や戦災孤児まで綺麗な着物というのは、おかしい気がしますね。

戦国時代は派手な着物が好まれたという話が本当かどうかはわかりませんが、わたしは、初の4K放送での大河ということで、派手なデザインにしてほしいというNHKサイドの要望があったのではないかと思っています。
Commented by heitaroh at 2020-02-19 18:59
色鮮やか・・・というのはいいのですが、どう見ても、今、配布されたばかりの新品でしょ?
お風物語に石田三成の部将級の娘で、1着しか着物持たなかった・・・とかう記述があるくらいなのに、野良仕事するのに、新品着てやるなよという気も。
黒澤明は、エキストラの人たちに前もって衣装を渡して、家で着てくれと言っていたそうですね。
体に馴染むように。
せめてそのくらいはして欲しい。
最近のドラマは、第二次世界大戦後のシーンでも、復員兵がなぜか染み一つない新品着てますからね。
見てる方も違和感ないのでしょうが、それでも、もう少し汚すとか演出しろよと。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-02-20 11:37
> heitarohさん

1話の人買いに連れられていた奴隷たちの着物も、みな、綺麗でしたね。
たしかに、違和感はありますね。
戦後の京の町で炊き出しに群がる人々の着物は薄汚れていたと思いますが。

>エキストラの人たちに前もって衣装を渡して、家で着てくれと言っていた

やっぱ世界の黒澤はすごいですね。
前もって衣装を渡すってことは、エキストラも撮影の数日前に打ち合わせしてるってことですもんね。
ふつう、エキストラなんて、ほとんどの場合が撮影当日までどんな人が来るかわからないものだと思いますから。

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