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名将、野村克也さんのご逝去を悼む。

ノムさんこと野村克也さんが11日に亡くなられました。

昭和のプロ野球界を代表する名捕手として、そして、打者としては戦後初の3冠王など数々の記録を打ち立て、監督としては、南海、ヤクルト、阪神、楽天で指揮を執り、名将と評されたノムさん。

この3日間、テレビもラジオもネットも新聞も、メディアというメディアでノムさんの話題で持ちきりのようで、あらためて、その功績の偉大さだけでなく、存在の大きさを知らされています。


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わたしの住む神戸の地方紙、神戸新聞でも12日の朝刊は1面記事でした。

さすがに、神戸新聞の写真は阪神のユニフォーム姿ですね。

阪神ファンであるわたしとしても、やはり、阪神の監督時代のノムさんを思い出さずにはいられません。


長く低迷していた阪神を再建すべく電撃招聘されたノムさんでしたが、監督在任中の成績は3年連続最下位と振るいませんでした。

「阪神の監督を受けたのは失敗だった」というのがノムさんの晩年の口癖だったといいますが、一方で、野村監督の3年間があったから、その2年後のリーグ優勝があったという声も少なくありません(2003年の優勝監督となった星野仙一氏自身がそう語っておられましたね)。

その評価が正しいのかどうかは、素人のわたしにはわかりませんが、ただ、のちに監督となる和田豊氏、矢野燿大氏をはじめ、新庄剛志氏、桧山進次郎氏、赤星憲広氏、井川慶氏など、その後もノムさんを恩師と仰ぐ選手が大勢いたことを思えば、やはり、ノムさんが阪神に残した功績は大きかったといえるのかもしれません。


ノムさんの長いミーティングというのは有名ですが、阪神の監督となって初めてのミーティングのとき、マスコミの取材に対して「監督が変わっても僕たちのやることは変わらない」と発言した当時の選手会長・和田豊選手に対し、「監督が変わっても選手が変わらないと強くはならない。君のようなチームリーダーがそんな考えだから、チームが低迷したままなんだ!」と、名指しで叱責したというエピソードは有名ですね。

以後、和田選手は自身の考えを改め、シーズンに入ってからもベンチではずっとノムさんの近くに座ってノムさんのボヤキに耳を傾けていたと。

これは、おそらく、和田選手が真面目で実直なチームリーダーだと見越した上で、あえて槍玉に挙げてチームを引き締めたんでしょうね。

野村流人心掌握術といえるでしょうか。


かと思えば、当初、誰もがノムさんのID野球と相性が合わないだろうと予想していた新庄剛志選手が、意外にもノムさんの元で花を咲かせたことは驚きでしたね。

天才肌の選手にありがちな気まぐれなところのある新庄選手でしたから、絶対ノムさんと衝突すると誰もが思っていましたが、そこは老練なノムさん、新庄選手ような選手の扱いを心得ていましたね。

いきなり新庄に投手をやらせるという斬新な手段は賛否両論でしたが、あれは真剣だったのか話題づくりだったのか、その真意はわかりませんが、あれがキッカケとなって新庄選手が打者として飛躍したのは確かです。

この度の訃報を受けて新庄氏は自身のインスタで、「宇宙人の名付け親」を冒頭に、「新庄お前はファンに愛される カッコつけて野球をやればええんや 選手に自由に野球をやりなさいって指導したのはお前だけや」といわれたというエピソードを紹介していました。

その選手によって指導法を変える。

これも、野村流人心掌握術なのかもしれません。


監督就任1年目のシーズンが最下位に終わったあと、ノムさんは全選手に反省文を書かせたそうです。

そして、それを丁寧に読み込んだ上で、一人ひとりの選手に対して、その反省文に対する所感と、来季に向けてどうすべきかの課題を書いて返したそうです。

ほとんど学校の先生ですね。

そのなかで、本人の反省文より長い返答を返されたのが、桧山進次郎選手だったそうです。

それまで、本塁打は打つものの低打率で三振も多かった桧山選手が、2年後の2001年には4番を任されて打率3割をクリア。

本塁打こそ減ったものの、中距離打者としての地位を確立しました。

桧山氏も、この度の訃報を受けて感謝の言葉を送っておられましたね。


もちろん、皆が皆、ノムさんを慕っていたわけではありません。

ノムさんが監督になったおかげで日の目を見た選手もいれば、逆に日陰に回された選手もいました。

今岡誠選手や大豊泰昭選手がそうでしたね。

今岡氏などは、いまでもノムさんのことを批判し続けています。

でも、それも仕方がないでしょうね。

誰からも慕われる指揮官なんて、長嶋茂雄さんぐらいじゃないでしょうか?


ノムさんの野球は、データ重視のID野球と言われましたが、かと言って、V9時代の川上哲治監督のように、大差で勝っていても送りバントというような面白みのない野球では決してありませんでした。

阪神の監督時代は結果的に3年連続最下位だったにせよ、それまでの阪神暗黒時代と違って、面白い話題が多かった。

新庄の投手起用にはじまり、赤星憲広選手、藤本淳史選手をはじめ俊足選手7人のF1セブン」遠山奬志投手と葛西稔投手をピッチャーとファースト間でスイッチ起用した「遠山・葛西スペシャル」など、最下位でも印象に残っている名場面がたくさんあります。

その最たる例が、新庄選手の敬遠球サヨナラ打でしょう。

もはや伝説となったサヨナラ打ですが、これも、川上監督だったら絶対許されなかったでしょうね。

いま思い出しても、野村阪神の3年間は、面白かった。

のちに楽天の監督となったノムさんが、交流戦甲子園に来たとき、阪神ファンが大歓声で迎えたことを思えば、あの3年間が無駄だったと思っている阪神ファンはいないんじゃないでしょうか。

それだけに、晩年、「阪神の監督を受けたのは失敗だった」と語っておられたというのは、阪神ファンとしては悲しい限りです。


ノムさんのID野球というのは、決してデータがすべてという考えではなく、データを材料に「考える野球」をしろということですよね。

孫子の兵法にも「敵を知り己を知れば百戦殆からず」とあるように、勝つために情報を揃えて頭を使うのは当然のことなんですよね。

ノムさんのID野球というのは、わたしは一種の哲学だと思います。

だから、多くの人の心を動かす名言が生まれたのでしょう。

ノムさんの残した名言は数え切れないほどありますが、いちばん心に残っているのはこれです。


「どうするか」を考えない人に、「どうなるか」は見えない。


どんなときも問題意識を持ってのぞめってことですよね。

「考える野球」を提唱し続けたノムさんらしい言葉です。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

合掌。



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by sakanoueno-kumo | 2020-02-13 22:02 | プロ野球 | Trackback | Comments(0)  

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