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天下布武の象徴、安土城攻城記。 その10 <摠見寺跡~百々橋口道>

「その9」の続きです。

安土城跡をほぼ攻略したので、下山します。

下山道は大手道ではなく、旧摠見寺跡ルートを選びました。


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「その5」で紹介した「伝織田信忠邸址」まで戻ると、その前が大手道と摠見寺跡ルートの分岐点となっています。

摠見寺跡ルートは、かつては百々橋口道と呼ばれ、安土城の通用口でした。


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長い石段を登りきったところに、巨大な石垣が現れます。

かつてここには摠見寺裏門が建っていましたが、明治13年(1880年)に近くの超光寺移設されました。

現在も超光寺の表門として現存しています。


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裏門の石段を登ると、そこが旧摠見寺跡です。

摠見寺は安土城の築城時に織田信長によって建立された寺院です。

天主城下町を結ぶ百々橋口道の途中にあるため、城内を訪れる人々の多くがこの境内を横切って信長のところへ参上したことが数々の記録に残されています。


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本能寺の変によって天主付近が炎上しましたが、摠見寺は類焼をまぬがれました。

しかし、江戸時代末期の嘉永7年(1854年)に起きた火災によって、本堂など主要な建物のほとんどを焼失してしまいました。

その後、昭和7年(1832年)に「その4」で紹介した大手道脇の「伝徳川家康邸跡」に寺地を移し、現在に至っています。


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現在、旧摠見寺跡には本堂跡と見られる石垣や礎石の跡のみが残されています。


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それにしても、一向宗浄土真宗本願寺勢力などとの長い戦いや、比叡山焼き討ちなどの行為から見るに、宗教、特に仏教勢力をことのほか憎んでいたと思われる信長が、なぜ、自らの居城の敷地内に寺院を建立したのでしょう?

その理由について、イエズス会宣教師ルイス・フロイス『日本史』によると、次のように記述されています。


天正7年5月11日(1579年6月15日)、信長は安土城で自らを神とする儀式を行い、摠見寺で信長の誕生日を祝祭日と定め、参詣する者には現世利益がかなうとした。


つまり、自らを神格化しようとしていたというんですね。

このフロイスのいう信長の自己神格化については、日本側の史料で記述したものはまったく存在せず、フロイスの記述を信用するかどうかについては研究者間で争いがあり、いまも決着はついていません。

ただ、安土城の登城ルートは大手道よりこちらの百々橋口道がメインだったといわれ、また、大手道のように随所に曲輪もなく、ここ摠見寺までは誰でも登ってこれたといいます。

ここに立派な寺院があり、その向こうに寺院を見下ろすように安土城天守がそびえ、そこに信長がいる。

それを見た当時の人々の目には、まるで信長が仏様をも超越した「神」のように思えたかもしれません。


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敷地内には、享徳3年(1454年)の建立と伝わる三重塔があるのですが(安土築城時にここへ移設)、この日は改修工事中だったようで、ネットが覆われていました。

残念。


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発掘調査によると、本堂跡の奥には庫裏書院などがあったとされていますが、現在は埋め戻され展望台となっています。


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その展望台からの西側の眺望です。

眼下に広がるのは、琵琶湖に通じる西の湖


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旧摠見寺跡をあとにして、長い石段を降ります。


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石段の途中にある旧摠見寺の正門、仁王門

当時の現存建物です。


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棟木に「元亀二年(1571年)七月甲賀武士山中俊好建立」と記されており、信長の安土城築城時に近江国甲賀郡柏木神社よりここに移築されたと考えられています。


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金剛力士像も当時のものです。


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往時の参道はそのまま百々橋口に繋がっていたのですが、現在、百々橋口は封鎖されており、道は途中で迂回して「その3」で紹介した「伝羽柴秀吉邸址」に繋がっています。

現在、安土山には入山料がいるため、入り口を1ヶ所するためなんでしょうね。


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さて、これで安土城をすべて攻略しましたが、もう1回だけシリーズを続けます。

次回、「番外編」に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2020-02-15 00:17 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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