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麒麟がくる 第5話「伊平次を探せ」 ~鉄砲伝来と細川藤孝との出会い~

 今回は、斎藤利政(のちの道三)の命を受けた明智光秀が、将軍家が鉄砲を大量に必要としているかを探るべく、近江国、そしてを訪れる話。もちろんフィクションです。鉄砲がはじめて日本に伝わったのは、天文12年(1543年)のこととされていますから(異説あり)、ドラマのこの当時は、まだ4、5年しか経っておらず、それほど世に出回っていない時代です。ドラマでは「鉄砲」という言葉が使われていますが、「鉄砲」という言葉が既にあったかどうかはわかりませんが、この当時の火縄銃の名称は、伝来した場所からとって「種子島」と呼ばれていたはずです。革新的な製品が誕生したとき、その生産者や生産地の名称がそのまま製品名になるというのは、今も昔もよくある話ですね。わたしが社会人になった30年ほど前、上司たちはコピーを取ることを「ゼロックスする」といっていましたが、あれと同じでしょうか? 若い人は知らないでしょうね(笑)。ちなみに、わたしの部下は、いまも紅茶のことを「リプトン」と呼んでいますが、あれは彼だけです(笑)。


鉄砲を種子島に持ち込んだのは、中国船に乗っていたポルトガル人のフランシスコキリシタダモッタの2人とされています。このフランシスコを、かの宣教師フランシスコ・ザビエルと混同して覚えている人がよくいますが、別人です。ザビエルが日本に来たのは鉄砲伝来より四半世紀のちの天文18年(1569年)のことで、上陸したのも種子島ではなく鹿児島。持ち込んだのも鉄砲ではなくキリスト教でした(献上品のなかには鉄砲もあったかもしれませんが)。


 種子島の島主・種子島時堯は、鉄砲を2丁買い求め、1丁は家宝とし、もう1丁を刀鍛冶八板金兵衛清定に命じて分解させ、研究させます。当時の日本にはネジというものがなく悪戦苦闘が続いたようですが、やがて国産の火縄銃、その名も「種子島」が金兵衛らによって完成すると、瞬く間に各地に生産が広まり、和泉国の、紀伊国の根来、そしてドラマに登場した近江国の国友、同じく近江国の日野などが代表的な産地となります。他にも、「鉄砲町」という地名がいまも全国各地に残っていますが、それらはすべて、鉄砲鍛冶が住む町でした。ドラマに出てきた鉄炮鍛冶の伊平次は架空の人物だと思いますが、上述した八板金兵衛清定も元は刀鍛冶だったことを思えば、的外れな設定ではないでしょうね。鉄砲も刀も武器で、しかもを材料としているという点で、刀鍛冶がそのまま鉄砲鍛冶になったという例が多かったんじゃないでしょうか。


その後、生産ラインが充実すると、戦場における新兵器として、戦国大名たちは挙って鉄砲を買い求めはじめ、やがてこれが、日本の天下統一を左右していくことになるんですね。ちなみに、戦国時代末期には、日本は50万丁以上の鉄砲を所持していたともいわれ、この当時、世界最大の銃保有国となるに至ります。話はそれますが、幕末、黒船艦隊の脅威から明治維新を迎え、わずか半世紀ほどで世界一二を争う海軍を保有するに至る日本。第二次世界大戦後の焼け野原から、わずか半世紀ほどで世界一二を争う経済大国となった日本。その是非は別として、戦国時代も現代も、わが国の適応能力の高さには目をみはるものがあります。


麒麟がくる 第5話「伊平次を探せ」 ~鉄砲伝来と細川藤孝との出会い~_e0158128_16193644.jpg のちに光秀のマブダチとなる細川藤孝(のちの幽斎)が出てきましたね。言うまでもなく細川護熙元総理ご先祖様です。光秀の盟友といえば、まず最初にこの人が思い浮かぶと思いますが、光秀と藤孝が、いつ、どのように出会ったかは史料がなく、詳しいことはわかっていません。司馬遼太郎『国盗り物語』では、斎藤道三の命により美濃を落ち延びた光秀が、諸国を流浪中に藤孝と出会い、その縁で足利将軍家の知己を得るという展開でしたが、イエズス会宣教師ルイス・フロイス『日本史』によれば、光秀はもともと藤孝の家臣だったが、その能力を買われ、信長の重用されていったと記されています。今回のドラマでは、いきなり刀を交えるという出会いでしたが、今後、どのように描かれるのでしょうね。


 その二人の斬り合いを制止したのが、室町幕府第13代将軍・足利義輝でしたが、たしかに義輝は「剣豪将軍」と呼ばれるほどの剣の使い手だったといわれる将軍ですが(異説あり)、無粋なことを言うようですが、ドラマの設定時はまだ数え13歳、現在でいえば小学校6年生です。向井理さん、無理がありますね(笑)。まあ、光秀にしても、一般的に通説となっている享禄元年(1528年)生まれ説でいえば、このときはまだ21歳。鷹揚に観ましょう(笑)。



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by sakanoueno-kumo | 2020-02-17 16:24 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(2)

 

Commented by heitaroh at 2020-03-04 12:14
今年の大河ドラマ、実にくだらんなあと思いながらも、毎週、始まるのを楽しみにしています。
ここ何年か、こういう本格的な物に飢えていたのかもしれません。
「将軍様は武家の棟梁にございます!」とか、なかなかにしびれましたよ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-03-04 17:15
> heitarohさん

殺陣シーンも、最近の大河ではなかなか見られないこだわり様ですよね。
まあ、言葉遣いとかは、往年の大河のようにはいきませんが、それも仕方がないのかもしれません。

去年から今年にかけて、日曜早朝のNHK-BSの大河ドラマアンコールで『葵徳川三代』をやっていて、改めて毎週録画して観ていたのですが(今度の日曜日が最終回ですが)、やはり、所作も言葉遣いも全然違うんですね。
でも、これって2000年の作品で、実はそんなに昔じゃないんですよね。
いつから時代劇言葉がなくなっちゃったんでしょうね。

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