近江坂本城跡を歩く。 その3 <二ノ丸、三ノ丸>
「その2」で紹介した坂本城本丸跡から県道を挟んで西側が、かつて二ノ丸だったとされています。
二ノ丸跡を歩いてみましょう。

二ノ丸跡の真ん中あたりに、「坂本城址」と刻まれた石碑と説明板がありました。

石碑は大正4年(1915年)に立てられたもののようです。

説明板です。

後ろの赤い傘は、観光客用の演出でしょうか?

石碑から50mほど東にある東南寺です。
ここも、かつては坂本城の一部でした。

境内奥の石仏を積み上げた場所は、本能寺の変後に坂本城が落城した際、明智方の将士を葬った首塚と伝わるそうです。
ここを訪れたときはそのことを知らず、後にネットで調べて知ったので、アップの写真がありません。
痛恨です。
明智光秀の重臣だった明智左馬助秀満は、安土城で光秀の死を知ると、有名な「明智左馬介の湖水渡り」でここ坂本城に入り、しばらく防戦しますが、最後は自ら城に火を放って自害したといいます。
この首塚のなかに、左馬助の首もあるかもしれません。

南北に走る旧大道です。

この道を境に、東が二ノ丸、西が三ノ丸だったそうです。

石碑に書かれた説明文によると、この大道はかつて坂本城の堀だったそうで、坂本城廃城後、埋め立てられて北国へ通じる大道を作ったそうです。

三ノ丸跡を歩きます。

グーグルマップに坂本城外堀跡という表示があったので、その場所に来てみたのですが、
南に両社神社、北に酒井神社があるものの、外堀跡を示す遺構や石碑などがありません。
どこでしょう?

こちらは酒井神社。

こちらは両社神社。
どちらも、広島藩主の浅野長晟が建立した神社だそうです。

両社神社の石垣です。
なんとなく城跡っぽいですね。
グーグルマップの表示はここを指していたので、写真を撮りました。

さて、二ノ丸、三ノ丸を制覇しましたが、もうちょっとシリーズを続けます。
「その4」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2020-02-22 11:26 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)