丹波の赤鬼の居城、黒井城攻城記。 その2 <登山道~石踏の段>
「その1」のつづきです。
黒井城跡の登山口にやってきました。
ここに車を停めて、ここから登山です。
駐車場には、明智光秀と赤井(荻野)悪右衛門直正の戦いを紹介した説明板があります。
登山口の石碑。
「保月城趾」と刻まれています。
黒井城の別名です。
これはヤマザクラでしょうか?
登山道は「急坂コース」と「なだらかコース」がありますが、迷わず後者を選択。
防獣柵を開けて、登山道に入ります。
たしかに緩やかです。
でも、やはりシンドイ。
しばらく登ると、なだらかコースの途中にも、また「急坂コース」と「ゆるやかコース」の分かれ道が。
迷いましたが、今度は急坂コースを選びました。
登り初めて25分ほど、赤く塗られた門のようなものが見えてきました。
寺院の山門のようにも見えますが、左右に仁王像はなく、説明板のようなものもなかったので、詳細がわかりません。
門をくぐると、曲輪のような削平地となっていました。
立て札には「石踏の段跡」と書かれています。
これも説明板がなく、パンフレットにも説明がないのでよくわかりませんが、たぶん、曲輪跡だと思われます。
赤門から南を見ます。
南側の眺望です。
石踏の段跡に、墓石のような石碑が建てられています。
「故緇井邑主赤井公招魂碑」と刻まれています。
「赤井公」とは、おそらく赤井直正のことでしょうね。
赤井直正は丹波国氷上郡を中心に勢力を誇った赤井氏の生まれで、叔父の荻野秋清を宴の席で刺殺し、そのまま黒井城を乗っ取って城主となったという豪傑で、通称の「悪右衛門」はこの事件からついたといわれています(諸説あり)。
黒井城主となった直正は、黒井城の改修に手を付けて防御を固めるとともに、その勢威を丹波一円に広げ、さらに但馬にも進出して、その勇猛ぶりから「丹波の赤鬼」と呼ばれました。
当時の名将十三人の1人にも数えられます。
もしかして、石踏の段の「石踏(いしぶみ)」は、この「碑(いしぶみ)」の当て字でしょうか?
さて、石踏の段跡でしばし休憩したあと、山頂を目指します。
本丸まで200m。
ここでまた、防獣柵があります。
麓の防獣柵は動物が街に降りてこないように防ぐための柵ですが、これは、おそらく頂上の城跡を動物に荒らされないようにするための柵でしょうね。
史跡を守ろうという取り組み、いいですね。
本丸まで100m。
もうすぐ山頂ですが、長くなっちゃったので、「その3」に続きます。
黒井城の全体図も載せます。
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by sakanoueno-kumo | 2020-03-26 23:20 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)