丹波の赤鬼の居城、黒井城攻城記。 その3 <東曲輪・三ノ丸・南帯曲輪>
「その2」のつづきです。
登山をはじめて約40分、ようやく黒井城本城の東曲輪に到着しました。
パンフレットによると、東曲輪の広さは20m×15mだそうです。
見事な野面積み石垣の遺構に圧倒されます。
縄張図によると、三ノ丸櫓台石垣のようです。
その縄張図です。
三ノ丸に上がって来ました。
広さは28m×23mあります。
縄張図を見てもわかるように、本丸、二ノ丸は直線上にあるのに対して、三ノ丸と東曲輪は「くの字」型をしており、矢掛りがかかるように配置しています。
三ノ丸からの270度パノラマビューです。
この山が、黒井城攻城戦のときに明智光秀軍が陣城を築いたとされる茶臼山です。
こちらも、明智軍が攻め城として改修した朝日城跡。
北丹波を一望といった感じですね。
「丹波の赤鬼」と呼ばれたた赤井(荻野)悪右衛門直正は、ここから丹波一円に睨みを効かせていたのでしょう。
三ノ丸の北西端にある二ノ丸櫓台石垣です。
三ノ丸櫓台より幅が広いですが、高さは低いようです。
あるいは、もとはもっと高く積まれていたのでしょうか?
二ノ丸、本丸に上がる前に、その周りを取り巻く帯曲輪を歩いてみましょう。
南側の帯曲輪です。
向こうに石垣、そしてその上に桜が見えます。
ここを訪れたのは元号が「令和」に変わる少し前の平成31年(2019年)4月13日。
平成最後の桜です。
縄張図にある、帯曲輪と帯曲輪にせり出した曲輪の石垣です。
出隅は算木積みっぽい兆候が見られます。
これらの石垣は、赤井氏の時代ではなく、明智光秀の丹波平定後に入城した重臣・斎藤利三時代のものと考えられています。
斎藤利三は、あの春日局の実父です。
見上げると桜の木が。
本丸、二ノ丸と帯曲輪の高低差は5mほどです。
反対側から見た石垣。
そして最西端にある西曲輪にやってきました。
西曲輪から見た本丸です。
そして北側の帯曲輪です。
こちらも南側の帯曲輪と同じく、本丸、二ノ丸との高低差は5mほどありますが、石垣は残っていません。
一周して三ノ丸に戻ってきました。
二ノ丸、本丸は「その4」にて。
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by sakanoueno-kumo | 2020-03-28 08:58 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)