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麒麟がくる 第20話「家康への文」 ~神君大高城兵糧入れ~

 物語はいよいよ桶狭間の戦いへ・・・と思いきや、合戦前の話でした。引っ張りますねぇ。今回はほとんどが創作の回だったので、何を書こうか迷ったのですが、タイトルから言えば、やはり松平元康(のちの徳川家康)の話でしょうか。もっとも、織田信長が今川方の人質となっていた家康を寝返らすための調略を、元康の実母・於大の方と叔父の水野信元に依頼するという話は、もちろんドラマの創作ですし、ましてや、その策を講じたのは越前で浪人生活を送っていた明智光秀で、帰蝶(濃姫)を通じて信長に献策した、なんてことはあり得ません。ちょっと無理やり感満載でしたね。


麒麟がくる 第20話「家康への文」 ~神君大高城兵糧入れ~_e0158128_18262311.jpg ただ、桶狭間の戦い前から信長と家康が通じていたのではないか、という見方は、以前からないわけではないです。家康は桶狭間の戦い直後に今川を離反しており、その後、瞬く間に三河の本領を回復し、翌年には信長と同盟を結びます。桶狭間の戦いで信長は戦国の勢力争いに一躍名を轟かせますが、桶狭間の戦いで誰が一番得をしたかという観点に立てば、実は家康なんですね。その後、本能寺の変まで家康が信長との同盟を守り続けたことを思えば、このとき何らかの密約があったんじゃないかと考えられなくもないです。だとしたら、その橋渡し役は、このとき織田方にも今川方にも属していなかった叔父の水野信元だったでしょうね。桶狭間の戦いのあと、大高城にいた家康を落ち延びさせてやったのも信元ですし、翌年の清洲同盟のときに両者の仲介役となったのも信元です。だとすれば、ドラマで信長が信元に調略をはたらきかけたというのも、あながち的外れではないのかもしれません。すべては推論にすぎませんが。


 永禄3年5月12日(1560年6月5日)、今川義元2万5000(『信長公記』では4万5000)の軍勢を率いて進軍を開始。このとき家康は先鋒を任され、大高城城代の鵜殿長照が城中の兵糧が足りないことを義元に訴えたため、義元から兵糧の運び入れを命じられました。これを家康は難なくやってのけたといい、徳川家の公式史書『徳川実紀』では、これを若き日の家康の武勇伝「神君大高城兵糧入れ」として称賛しています。そこには、こうあります。


大高送粮の事、異説、区々なり。その一説、尤も審なり。其故は、信長、寺部、挙母、広瀬の三城へ兵を篭め置きて、今川より軍粮を大高城へ入る事あらんには、鷲津、丸根両城へ牒し合せて遮りとめんと設たり。烈祖、早くその機を察せられ、先ず、鷲津、丸根両城を捨て、寺部の城下を放火し、その城へ攻め掛からん体を示し給へば、鷲津、丸根の両城は、寺部を救わむ用意する其暇に、難なく軍粮をば大高城へ運送し給ふといふ。此の説、是なるがごとし。


 大高城に兵糧を運び込むには、織田方の丸根砦鷲津砦を攻め落とさないと難しいところを、家康はあえて大高城からは遠い寺部城を襲って放火し、寺部城を攻めるふりをして、そこに丸根砦と鷲津砦から援軍を呼び寄せ、両砦の守備が手薄になった隙きを突いて大高城に兵糧を運び込んだといいます。このとき家康18歳。さずが、大器の片鱗がうかがえますね。


 ドラマでは、家康が寝返るよう調略を進めていた信長が、家康を攻撃しないように指示していたので、家康は戦うことなく難なく兵糧が運び込めたという設定。あれじゃあ、若き家康の武勇伝の立つ瀬がないですね。で、その大高城で母からの文を読んで涙するという展開。たしかに『徳川実紀』にも、この頃、母・於大の方と再会したというくだりがあるのですが、家康の見せ場はそこではないでしょう。涙より武功を描いてほしかったですね。


 ってか、そもそもドラマは明智光秀の物語なのに、光秀が直接関わっていない桶狭間の戦いで2話も使っちゃっていいんですかね? ただでさえ、時代の進みが遅すぎるのに、この先が心配でなりません。



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by sakanoueno-kumo | 2020-06-01 16:52 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2020-06-03 11:42
>むりやり感満載
私もまったく同感でした。
まさかとは思いますが、元康が今川様にご謀叛されて、その結果、信長勝利・・・とかじゃないですよね?
帰蝶様の活躍を描かねばならないにしても、もう、十分だろと。
結構、げんなりしてきました。
ちなみに、確かこの時点で、元康はもう妻子がいますよね?
今川の元に。
まだ、元康が裏切るかどうかはわかりませんが、母の手紙見て、泣いてる場合じゃないでしょって気も。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-06-03 22:44
> heitarohさん

<元康が今川様にご謀叛されて、その結果、信長勝利>
まさかそこまではないと思いますが、たしか、少年期の元康と信長が将棋を打っていたとき、「今川はいずれ倒さねばなりませぬ」とか言っていたと記憶していますから、表立った謀反ではなくとも、何か織田に有利になるような仕事をするのかもしれませんね。

<母の手紙見て、泣いてる場合じゃないでしょ>
たしかに。
でも、手紙ではないですが、『徳川実紀』には、桶狭間の戦い前後に母と再会して、「なきみわらひみかたらせ給ふ」とありますから、おそらく、その逸話からこのたびのシーンが出来たのでしょう。

<帰蝶様の活躍を描かねばならないにしても、もう、十分だろと>
近年の大河はフェミニズムが基本路線ですからね。
歴史は女性によって支えられていた・・・・と言いたいんでしょう(笑)。

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