丹波神尾山城(本目城)跡攻城記。 その2 <南曲輪群>
「その1」のつづきです。
神尾山城跡は神尾山金輪寺の背後からすぐ曲輪群がはじまります。
まずはいちばん南の曲輪。
ここは主郭から数えて9段下の曲輪だったので、便宜上、第9郭と名付けます。
狭い曲輪です。
続いて、その上の第8郭です。
大きな岩があります。
続いて第7郭。
雑草が茂っていて、写真ではその広さがイマイチ伝わりづらいですね。
第6郭へ登る虎口跡です。
第6郭側から見た虎口跡。
第6郭です。
第6郭はかなりの面積があるようですが、高い雑草が生い茂っていて、写真ではその広さを伝えることができません。
第6郭から見下ろした第7郭です。
第6郭の西側にも曲輪群があるようですが、ここはパス。
上を目指します。
第6郭の西側は土塁跡が見られます。
第6郭から見上げた第5・4・3郭の切岸です。
順番に登って行きましょう。
第5郭に登ってきました。
第5郭から見下ろした第6郭です。
第4郭の切岸です。
高い。
第4郭に登ってきました。
第5郭よりは広いスペースです。
第3郭の切岸を見上げます。
また、登ります。
第3郭に登ってきました。
第4郭より、またちょっと広くなっています。
第3郭から見下ろした第4郭です。
第2郭の切岸を見上げます。
第2郭に登りましょう。
第2郭です。
神尾山城の築城時期については詳しくはわかっていませんが、史料に見られるのは、大永6年(1526年)頃に八上城の波多野稙通の弟・柳本賢治がこの城に在城したとあるので、少なくともそれ以前には存在していたと考えられます。
その次に史料で見られるのは、天文22年(1553年)9月3日の『言継卿記』で、八木城の内藤国貞が、八上城の波多野秀忠らと戦い、本目城で討死にという記載が見受けられます。
この本目城というのが神尾山城と考えられています。
そして、その次に史料として出てくるのが、明智光秀の丹波攻めのときですね。
第2郭から見下ろした第3郭です。
そして、いよいよ主郭に向かいます。
つづきは「その3」にて。
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by sakanoueno-kumo | 2020-07-01 22:14 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)