丹波塩貝城(胡麻大戸城)跡攻城記。<前編> ~塩貝将監之墓所~
今回は京都府南丹市日吉町胡麻大戸にある塩貝城跡を攻めます。
塩貝城も、天正7年(1579年)の明智光秀の丹波攻めの際に落城した城です。
JR山陰本線の胡麻駅です。
この駅の南東に塩貝城跡があります。
あの山でしょうか?
駅前にあったイラストマップに、塩貝城跡の記載があります。
やはり、南東のようですね。
ただ、このイラストマップ、そろそろ作り直したほうがいいんじゃないでしょうか?
胡麻駅から南へ向かって、上胡麻区民センターというところに車を停めさせてもらいました。
その前には、塩貝城の説明板が設置されていました。
説明板によると、光秀の丹波攻めの際、塩貝城は塩貝将監晴政とその子・塩貝将監晴道が守っていたようです。
塩貝氏は、八上城主の波多野氏の配下の武将でした。
ここに車を停めてから、城跡への登山口までかなり迷いました。
当初、この説明板のすぐ前にそびえる丸山という山を塩貝城跡のある山だと思い込み、この山の周囲をウロウロしていたのですが、どうも様子が違う。
結局、塩貝城跡の山は全然違う山で、登山口はここから東へ600mほど歩いたところにありました。
この説明板、まぎらわしい。
正面に見える山が塩貝城跡のある山です。
登山口です。
「塩貝城跡」と書かれた誘導柱があります。
目印は、この「木戸家場所入口」。
木戸家場所の裏側に入ると、塩貝城への誘導板が見えます。
右に行けば城跡ですが、正面に墓石のようなものが見えます。
行ってみましょう。
「塩貝将監之墓所」とあります。
「将監」は、晴政と晴道どちらの名乗りでもありますが、区民センターの前の説明板によると、この墓碑は父の晴政のもののようです。
墓碑の文字は読めなくなっています。
墓碑の横には、さっきの説明板と同じものが。
その下には、塩貝城の主郭跡と鍛冶屋敷跡の縄張り図があります。
墓碑の隣には、小さな石仏があります。
これも、塩貝城関連のものでしょうか?
墓参りを終えたところで、城攻めは「後編」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2020-07-08 23:59 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)