丹波塩貝城(胡麻大戸城)跡攻城記。<後編> ~鍛冶屋敷跡、主郭跡~
前編のつづきです。
塩貝将監晴政の墓参りを終えて、いよいよ城攻めを開始します。
塩貝城跡は標高310m程の山頂にありますが、城跡は南丹市指定の史跡となっていて、登山道が整備されているため登りにくいということはありません。
しばらく進むと、獣避けのネットがあります。
紐を解いて中に入ります。
入ったら、また紐を結びましょう。
登り初めて10分足らずで、虎口跡のような地形の場所に出ます。
そこを登ると尾根道になっています。
そこから更に5分ほど進むと、主郭跡と鍛冶屋敷跡の間の尾根道に出ます。
ここから、本格的な城の縄張りのようです。
標高は310mほどありますが、比高100mほどなので、15分ほどで登れました。
まずは鍛冶屋敷跡へ向かいます。
鍛冶屋敷跡です。
中央に縄張り図があります。
鍛冶屋敷跡というネーミングの由来はよくわかりませんが、麓の説明板によると、出丸(砦)と解説されていました。
出丸らしく、周囲は土塁で囲われていた痕跡が残っています。
鍛冶屋敷跡からの北側の眺望。
こちらは西側の眺望。
たしかに、出丸らしく眺望がききます。
ここに物見台のようなものがあったのかもしれません。
尾根道に戻って、南の主郭跡に向かいます。
進み始めてまもなく、堀切跡と土橋跡が現れます。
この堀切で、主郭と鍛冶屋敷を分断していたのでしょう。
この日は曇り空だったので、写真じゃ凹凸が伝わりづらいですね。
往時はもっと深い堀切だったはずです。
主郭が見えてきました。
その前に、また堀切があります。
登ってきました。
ここは主郭の北側の一段下の曲輪です。
便宜上、主郭北郭と名付けます。
結構広いです。
向こうに見えるのは主郭の切岸です。
主郭北郭から見下ろした先ほどの堀切跡です。
主郭に向かって切岸を登ります。
振り返って見下ろした主郭北郭です。
高い。
そして、主郭に登ってきました。
かなり広い。
この広さは、十分に居住できる館が建てられる広さです。
中央に石碑と説明板があります。
説明板は手書きですが、文章は麓にあった説明板と同じです。
見渡す限り、主郭の周囲に土塁跡は見られません。
主郭の南側から下を見下ろすと、堀切跡が見られます。
降りてみましょう。
主郭南側の堀切です。
主郭に土塁はありませんでしたが、要所はちゃんと堀切で守っていたようです。
再び主郭に戻って、今度は西側を見下ろすと、帯曲輪が見えます。
降りてみましょう。
主郭西側帯曲輪です。
この帯曲輪が、さっきの主郭北郭の下まで繋がっています。
さて、ひと通り塩貝城を攻め尽くしたので、退却しましょう。
下山して麓から見た塩貝城です。
説明板によると、天正7年(1579年)の明智光秀によって攻略されたとありましたが、詳しい内容までは書かれていませんでした。
主筋の波多野氏が守る八上城が落城したのが天正7年(1579年)6月なので、おそらくその前後に落城したのでしょうね。
ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
↓↓↓
by sakanoueno-kumo | 2020-07-10 13:58 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)