明智光秀に焼き討ちにされた達身寺。
丹波市氷上町清住に、達身寺という古刹があります。
丹波地方の寺社仏閣は、天正7年(1579年)の明智光秀による丹波攻めの際にことごとく焼き払われましたが、ここ達身寺も光秀によって焼かれた寺院のひとつです。
達身寺の創建についてはよくわかっていませんが、寺伝による、と開山は行基によるとされ、増兵を抱え山岳仏教の大寺院だった伝えられます。
天正7年(1579年)、織田信長の命を受けた明智光秀は三度目の丹波攻めを行いますが、その際、達身寺は黒井城に加勢したということで焼き払われたといいます。
寺院前には「明智光秀ゆかりの地」と書かれた幟が立てられていました。
明智光秀の寺院焼き討ちの前、多くの仏像を守ろうとした僧侶たちは、仏像を近くの谷へ運び出したそうですが、そのまま長い年月置き去りにされてしまうことになったそうです。
その後、時は流れ、元禄8年(1695年)に村に疫病が流行って多くの人々が亡くなる出来事が起こりました。
その原因を当時の村人が占い師に占ってもらったところ、「仏像を粗末にしている仏罰である」とのお告げをうけ、村人たちは谷に放置されたままになっていた仏像を集めて、山の中にあった破損した達身堂も麓に降ろして修復し、仏像を安置し祀ったと伝わります。
本堂です。
「新型コロナの為、休館します」とあり、中は見られませんでした。
ここを訪れたのは令和2年(2020年)4月5日、このとき世の中は新型コロナウイルスの話題一色の時期で、この日は全国7県に緊急事態宣言が出される2日前でした。
300年経った今も、疫病は定期的に人々を脅かします。
奥にもお堂があります。
達身寺には、阿弥陀如来、薬師如来、十一面観音、兜跋毘沙門天、吉祥天など、80余躯の仏像が宝物殿に納められていいて、国指定の重要文化財が12躯、兵庫県指定文化財が34躯あり、「丹波の正倉院」と呼ばれています。
世界中が疫病に脅かされていても、桜は満開でした。
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by sakanoueno-kumo | 2020-08-21 13:06 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)