丹波小室城(東芦田城)攻城記。 その1 <胎蔵寺、旧胎蔵寺跡>
丹波山垣城から南東約5kmのところにある標高519mの吼子尾山(くずおざん)山頂に、かつて小室城がありました。
小室城は丹波の名族・芦田氏の居城で、別名、東芦田城とも呼ばれます。
山垣城と同じく、天正7年(1579年)、但馬から遠阪峠を超えて侵攻してきた羽柴秀長の軍勢と、丹波南部から攻めてきた明智光秀の軍勢との挟撃に遭って落城したと伝えられます。

麓から見た吼子尾山です。
標高519m、比高約400mのガッツリ登山です。

県道109号線沿いに「胎蔵寺」の誘導板があります。
ここから登山口に向かいます。

その胎蔵寺の薬師如来像の説明板。

200mほど進むと、胎蔵寺があります。
立ち寄ってみましょう。

本堂です。

古そうな仁王像です。

胎蔵寺はインドから日本に渡ってきて仏教を広めた法道仙人が、奈良時代の養老2年(718年)に建立したと言われ、かつては吼子尾山の頂上近くに多くの堂宇が立ち並ぶ天台宗の大寺院だったそうです。
戦国時代、小室城とともに兵火に遭い、寺は麓に移りますが、その後、さらに消失して現在の一堂になったそうです。

さて、胎蔵寺をあとにして登山口にむかいます。

しばらく歩くと、登山口の防獣柵が現れ、その横に小さな鳥居と祠が見えます。

立ち寄ってみましょう。

由緒書などがないので詳しいことはわかりませんが、集落の地神社のようです。
あるいは、かつては胎蔵寺の鎮守社だったのかもしれません。


石碑もありますが、読解不能。

さて、いよいよ登山道に入ります。

登り始めてすぐ、登山道の横に石垣を伴う削平地が段曲輪のように何段も連なっています。

行ってみましょう。

すぐさまスマホでググってみると、どうやら、ここはかつての旧胎蔵寺跡のようです。

これはスゴイ。

まるで城跡のようです。

これなんて、まるで天守台のよう。


何段あるか数えておけばよかった。


防獣柵から登ること15分、まだ胎蔵寺の旧跡は続きます。

立派な二段構えの石垣が見えてきました。
どうやら、あそこの上が旧胎蔵寺跡の最上段のようです。

上に門跡が見えます。
おそらく、往時はあそこに向かって石段が伸びていたのでしょう。

横を見ると、見事な二段構の石垣が。



門を抜けます。

広い。

まるで城の本丸跡のようです。

奥にも低い石垣があります。

地面には堂宇の礎石跡が並びます。

こうしてみても、かつての胎蔵寺は壮大な寺院だったことがわかりますね。
城跡を目当てに訪れたのですが、大寺院の旧跡というのも、悠久の歴史を感じさせてくれます。
ここ旧胎蔵寺跡は、ネットでググってもあまり出てきません。
もう少し多くの人に知ってもらいたい史跡ですね。
「その2」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2020-10-15 00:13 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)