丹波と丹後の国境を守る鬼ヶ城攻城記。 その1 <観音寺~登山道>
丹波国天田郡と丹後国加佐郡との境に位置する標高544mの山上に、鬼ヶ城跡があります。
ここは、「丹波の赤鬼」として知られた丹波国黒井城主の赤井(荻野)悪右衛門直正の兄、赤井家清の子・赤井忠家の居城と伝わりますが、諸説あって定かではありません。
ここも、明智光秀の丹波攻めの際に落城しました。

登山口は福知山市大江町にある観音寺にあります。
この日、わたしはここを訪れる際に「福知山市、観音寺」で検索してナビったのですが、福知山市内にはもう1ヶ所、同名の「観音寺」という寺院があって、そっちに連れていかれてしまいました。
危うく違う山に登るところでした(汗)。

住職さんの話によると、以前はここは京都府加佐郡大江町だったのですが、小泉政権時の平成の大合併によって福知山市に吸収合併されたそうで、以後、福知山市に観音寺というお寺が2つ存在するようになったんだそう。
ここへ来る際には、「大江町、観音寺」で検索してください。

どちらの観音寺も大きな敷地の寺院です。

こちら、駐車場内にある説明板。

曇り空で暗い写真になってしまっていますが、観音寺から見上げた鬼ヶ城跡です。
標高544m、比高も450mほどあります。
ガッツリ登山です。

仁王門横の駐車場に車を停めてしばらく坂を上がると本堂が見えてきます。
その横に登山口があります。

その前に、本堂前に雨よけとプラスチックケースが。

中を見ると、鬼ヶ城登山案内のパンフが。
これはありがたい。

観音寺本堂です。
ここを訪れたのは令和元年(2019年)11月16日、紅葉が綺麗でした。


登山口の看板の横にも真っ赤な紅葉が。

登山開始です。
立て札には「2km」とあります。
山道の2km超えはかなりキツイです。

しばらくなだらかな坂道を進むと、砂防ダムが現れます。
ここの前の砂利道をつたって川を渡ると、本格的な登山道に入ります。

「鬼ヶ城山頂まで1500メートル」と書かれた立て札が。
いやいや、さっきの2kmから、まだ100mほどしか進んでないんだけど?

本格的な登山道に入ると、大きな石が散乱している箇所が所々に見られるようになります。
石垣跡?
それとも、ただの自然石?
どっちともとれる感じです。

地形も、明らかに人工的に削平されたと見られる平坦地が段々に続いている場所があります。
城館跡?
それとも、後世のもの?
よくわかりません。

自然石とするには、どうも1箇所にかたまり過ぎているような・・・。

あっ、これなんて、絶対人工的に積まれたものですよね。

これも。
ここなんか、なんとなく食い違い虎口のかたちが見られるような気がします。

これも、間違いなく人工的な石積みでしょう。

仁王門から登り始めて約50分。
分岐点の道標が現れました。
鬼ヶ城まで800m、いま登ってきた道は1400mとあります。
まだ800mもあるのかぁ~・・・と思いましたが、スマホのアプリでこの地点の標高を調べると、標高415mでした。
あと800mで比高130mほどなら、あとは緩やかな尾根伝いってことでしょうね。
気を取り直して進みます。

予想通り、ここからは緩やかな坂がつづきます。

あと500m。

あと400mの表示を過ぎると、本格的な城跡の遺構が始まります。
が、長くなっちゃったので、つづきは「その2」にて。
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by sakanoueno-kumo | 2020-10-22 00:50 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)