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麒麟がくる 第31話「逃げよ信長」 その1 ~金ヶ崎の戦い~ 

今回は大河ドラマらしい回でしたね。やはり、大河はこうでないと。


永禄13年4月20日(1570年5月24日)、織田信長は北国に攻め入るため京都を出陣しました。『言継卿によると、その軍勢は3万にも及んだといいます。出陣の前日、信長は参内して正親町天皇(第106代天皇)に暇乞いをし、将軍・足利義昭にも面会しており、勅命と将軍の上意の両方を受けての出陣でした。


 麒麟がくる 第31話「逃げよ信長」 その1 ~金ヶ崎の戦い~ _e0158128_21004698.jpgもっとも、天皇・将軍が公認したこの出陣の当初の目的は、若狭の武藤友益を成敗するというもので、将軍の上意も天皇の勅命もそのためのものでした。ところが、信長が毛利元就に宛てた書状によると、その武藤を操っているのが朝倉氏だということがわかったので、すぐに越前に攻め入ったといいます。しかし、普通に考えて、武藤ごときを討つのに3万もの大軍は必要なく(武藤などは、この越前攻めが失敗に終わったあと、丹羽長秀明智光秀の二人だけで簡単に降参させている)、これは明らかに、反抗的な武藤という小物を利用して上意、勅命を受け、言いがかりをつけて一気に朝倉氏を攻め滅ぼす筋書きだったのでしょう。20日に京都を出た信長軍は、琵琶湖の西岸を北上し、元号が変わった元亀元年4月23日(1570年5月27日)には若狭の佐柿国吉城に入って逗留。ここから西に向かえば武藤のいる佐分利郷でしたが、25日に国吉城を出陣した信長は、ためらいもなく東に向かって出陣します。信長の狙いははじめから越前でした。


 関峠を越えて敦賀に入った信長は、妙顕寺に本陣を布き、まずは天筒山城に攻めかかります。信長はこの攻城戦を力攻めに出ました。その猛攻で天筒山城は1日で落城しますが、『信長公記』によると、このとき織田方が取った首は1370余りとあり、凄まじい戦いだったことがうかがえます。一方、『言継卿によると、織田方も千余人討ち死にしたとあり、相当な犠牲が出たようです。朝倉氏との最初の戦いは激戦でした。


翌日、織田方は主城の金ヶ崎城攻めに取り掛かりますが、城主の朝倉景恒はあっけなく降参。城を明け渡しました。ドラマでは、このあまりにもあっけない降参を松永久秀がいぶかしんでいましたが、この降参に深い意味はなかったでしょう。前日の天筒山城の攻城戦で大きなダメージを受けた朝倉方は、戦意を殺がれ、これ以上犠牲者を出さないよう無駄な抵抗を避けたというのが、その理由だったんじゃないでしょうか。


 ところが、周知のとおり、このときの越前攻略はここで終わります。4月27日、勢いにのった織田軍が越前に向けて木ノ目峠を越えようとしたとき、北近江の浅井長政反旗を翻したという情報が飛び込んできます。浅井氏と織田氏は同盟関係を結んでおり、浅井長政の妻・お市の方は信長の妹でした。『信長公記』によると、この情報に接した信長は「木目峠打越し、国中御乱入たるべきの処、江北浅井備前手の反覆の由、追々共注進候。然共、浅井は歴然御縁者たるの上、刺、江北一円に仰付けらるゝの間、不足これあるべからざるの条、虚説たるべきと思し食され候」とあり、俄に信じようとはしなかったといいます。信長にとっては思いも寄らない裏切りだったようですね。しかし、次々に入ってくる情報で、信長も長政の謀反を確信し、28日夜、全軍の撤退を決意します。


 麒麟がくる 第31話「逃げよ信長」 その1 ~金ヶ崎の戦い~ _e0158128_15523732.jpg長政が信長に反旗を翻した理由について、浅井氏が朝倉氏に旧恩を感じていたからといわれることが多く、ドラマの長政もそう言っていましたが、たしかに、大義名分はそうだったかもしれませんが、この時代の価値観からして、旧恩に固執して家を滅亡の危機に晒すとは考えにくいでしょう。おそらく、長政は信長に勝つ見込みがあったのでしょうね。大軍を率いていたとはいえ、この当時の認識でいえば、織田氏は最近頭角を現したばかりのベンチャー企業で、一方の朝倉氏は、老舗の大企業。どちらにつくほうが得かと考えた末、大企業を選んだ。長政のこの判断は、決して間違いではなかったでしょう。実際、長政が反旗を翻したことで、信長は命からがら越前から逃げ帰っているし、その後も、信長包囲網の一角として、信長を大いに苦しめています。歴史の歯車がひとつ狂えば、長政が反信長勢力を集結して信長を倒し、日本の歴史を大きく変えていたかもしれません。


 有名な「小豆の袋」の逸話は今回やらなかったですね。信長の妹で長政の妻だったお市の方が、袋の両端を縛った「小豆の袋」陣中見舞いに送り、もはや「袋のネズミ」であるということを兄・信長に伝えたというエピソードですが、この話は後世の作り話だというのが有力となっています。でも、大河ドラマの定番エピソードだけに、今回もやっても良かったんじゃないでしょうか? お市役の女優さん、可愛かったし(笑)。


 さて、いよいよ退却戦ですが、今回、長くなっちゃったので、「その2」に続きます。



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by sakanoueno-kumo | 2020-11-09 15:53 | 麒麟がくる | Trackback(1) | Comments(0)  

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『麒麟が来る』が変えた明智光秀の歴史教科書が教える戦国武将・織田信長の生涯によるとは、1534年、尾張(愛知県西部)に生まれた1551年に家督を継ぎ、1560年の桶狭間の戦いで今川義元を破って尾張一国を統一、隣国の美濃も攻略すると、京への上洛を機に全国の敵と戦い続け、天下統一を目前にしていました。しかし、信長に「恨み」を持っていた明智光秀の謀反により、京都本能寺で自害に追い込まれ49年の人生に幕を下ろしたとあります。... more

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