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麒麟がくる 第33話「比叡山に棲む魔物」 ~志賀の陣~

 元亀元年(1570年)6月の姉川の戦いで、織田信長浅井・朝倉連合軍を敗走させましたが、同じ年の8月末には敵対する三好三人衆が大坂の野田城、福島城を拠点に蜂起し、信長はすぐさま自ら摂津入りして両城を包囲するも、9月半ばに大坂の石山本願寺が信長に敵対することを決め、本願寺の指令を受けた一向宗徒が参戦してくると、織田軍はたちまち苦戦を強いられます。そんななか、その機に乗じて浅井・朝倉連合軍が息を吹き返し、3万の大軍を率いて南近江の志賀郡へ進軍。織田軍の森可成が守っていた宇佐山城に攻め寄せました。宇佐山城には城主の森可成をはじめ、信長の弟・織田信治がいましたが、その兵力はおよそ3000人ほどだったといわれ、10倍以上の兵力差は如何ともし難く、可成、信治ともに討死します。


麒麟がくる 第33話「比叡山に棲む魔物」 ~志賀の陣~_e0158128_21004698.jpg 事態を重く見た信長は、摂津での三好三人衆および本願寺との戦いを途中で切り上げ、宇佐山城に駆けつけました。すると、浅井・朝倉連合軍は比叡山に逃げ込み、睨み合いとなります。比叡山に攻撃を仕掛けるのは難しいと判断した信長は、比叡山延暦寺に対して使者を送り、「自分に味方してくれるならば、それまでに取り上げた寺領を返還しよう。宗教的立場から一方に味方することが難しいようであれば、せめて中立を保ってほしい。」と要請したうえで、「もし、このまま浅井・朝倉を匿うのならば、延暦寺すべてを焼き払う!」と通告しています。「中立」というのが、具体的にどのようにすればいいのかわかりませんが、要するに、信長の要求は、浅井、朝倉軍を山から下ろせ、ということでした。しかし、延暦寺はこれを受け入れませんでした。


 その頃、延暦寺の天台座主となっていた覚恕は、正親町天皇(第106代天皇)の異母弟(あるいは異母兄)でした。ドラマでは、顔が醜いから仏門に入れられたと言っていましたが、実際には当然そんなことはなく、おそらく、母親の家格によるものだったのでしょう。正親町天皇の生母は従三位の万里小路賢房の娘・万里小路栄子だったのに対し、覚恕の生母は、内裏の女房でした。武家で言えば、正室の子と側室の子の違いですね。いわば生母の出自によって僧侶の道を歩むことになったと思われます。そうした経緯があってか、覚恕は正親町天皇に対して対抗心を抱いていたようです。信長の要請を受け入れなかったのも、あるいは、ドラマのように兄・正親町天皇に対する敵対を意味していたのかもしれません。


麒麟がくる 第33話「比叡山に棲む魔物」 ~志賀の陣~_e0158128_20041828.jpg にらみ合いは膠着状態のまま3ヵ月が過ぎ、同年12月にようやく和睦が成立します。その仲介役となったのが、将軍・足利義昭と、そして覚恕の兄・正親町天皇でした。興福寺別当の大乗院尋憲の日記『尋憲記』によると、その周旋をしたのは、関白・二条晴良だったようです。しかし、その和睦交渉もなかなか進まず、史料によると、12月1日から12日までかかっています。その理由は、信長側はすぐに和睦の条件を受け入れたものの、延暦寺側がなかなか応じなかったからでした。信長にしてみれば、天皇の綸旨に逆らうことはできない。しかし、覚恕にしてみれば、実の兄弟である天皇だからこそ、簡単には承知したくなかったのかもしれません。


 この戦いは「志賀の陣」と呼ばれ、信長の生涯で最も苦しい戦いとされています。3ヵ月もの長期にわたって比叡山の麓から動くことができませんでした。信長のいくさは短期決戦がほとんどですからね。そして、この戦いの顛末が、翌年の「比叡山焼き討ち」となります。上述したとおり、信長は延暦寺に対して「敵対すれば焼き払う」通告しており、その通告どおりに実行したわけです。そして、この比叡山攻めを先頭に立って実行したのが、他ならぬ明智光秀でした。「比叡山焼き討ち」については、来週の稿にゆずります。


 それにしても、正親町天皇とサシで碁を打つ望月東庵先生とは、いったい何者なんでしょうかね?



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by sakanoueno-kumo | 2020-11-24 15:52 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(4)  

Commented by heitaroh at 2020-11-25 20:43
最近、面白くなく、かなり早送りで見ています。
私はむしろ、朝倉義景と叡山をあんなに悪く描かなくてもいいのにって思いましたけどね。
ちなみに、今回、「よろず」というせりふが、やたら耳につきました。
いいんですが、今の人はわかるんですかね。
賛同する反面、外国語みたいに聞こえると、また時代劇ファンが少なくなるような。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-11-26 00:40
> heitarohさん

そうですか。
わたしは、ここへきてようやく面白くなってきましたけどね。
駒ちゃんと東庵先生の出番が少ないから・・・というのが理由ですが(笑)。
前々回の金ヶ崎の退き口と回は、久々に大河ドラマらしい回でしたけどね。

>朝倉義景と叡山をあんなに悪く描かなくてもいいのに

まあ、善悪をはっきりさせた方が分かりやすいというのもあるのでしょう。
わたしはむしろ、摂津晴門の暗躍のほうが、目障りです。
摂津晴門という人、あまり知らないですし。
比叡山焼き討ちも足利義昭と信長、光秀との不和も、全部、摂津のせいにされそうで、それってどうよ!って気も。

あと、今回、覚恕がクローズアップされていますが、比叡山焼き討ちで覚恕にスポットがあたったのは初めてなんじゃないでしょうか?
それはそれで、画期的なのかなあと。

時代劇ことばについては、たしかに取捨選択の基準がよくわからないですね。
貴兄がよくおっしゃられていた「かたじけない」が消えて「ありがとう」が乱用されているという話、今回のドラマでは、「かたじけない」と「ありがとう」、どちらも使われています。
その使い分けって、何なんでしょうね?
たぶん、脚本家と言語指導の先生のものさしでは、何か基準があるのでしょうが。
Commented by kumikokumyon at 2020-11-27 10:39
前回からぐっと光秀の演技に熱が入ったようで、私も興味深々で見ています!前回のお茶の会の出席者に「こま」ってあったのは(笑)でしたが。摂津晴門の演技が濃すぎてしんどい時がありますね。でも小朝は良い感じでエロ坊主ぶりを発揮、次回は石橋凌の武田信玄登場で目が離せません。そうそう、麒麟の柴田勝家はいつもと違いなかなかのイケメンですよ!
丹波の紅葉情報もありがとうございます、行きたいけど~ちょっともう遅いですかね?
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-11-27 19:36
> kumikokumyonさん

>摂津晴門の演技が濃すぎてしんどい

そうなんですよね。
あそこまでステレオタイプの悪役じゃなくてもいいと思うのですが。
鶴太郎は、麒麟と同じ池端俊策さん脚本の30年前の『太平記』で北条高時を演じて、あれでお笑いタレントから役者に転向するキッカケになりましたが、あのときは、ここまでクドい芝居ではなかった。
今回は、なんか芝居に自分で酔ってる感じです。

>石橋凌の武田信玄登場で目が離せません。

この人も、いつの間にか役者さんになっちゃいましたね。
わたしにとっては、いつまでもARBのボーカルなんですが。
この人が役者になるキッカケになったのも、大河でしたよね。

>麒麟の柴田勝家はいつもと違いなかなかのイケメン

たしかに、あのカッコ良さは瓶割り柴田じゃない!(笑)

丹波紅葉三山の稿は、実は1年前の記録です。
今年の状況はわかりませんが、たぶん、ピークは過ぎているかと。
来年行ってください。

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