丹波紅葉三山めぐり ~円通寺~
高源寺をあとにして、午後から丹波市氷上町の円通寺を訪れました。
ここも「丹波紅葉三山」のひとつです。
いきなり紅葉のアーケードです。
これは期待できそう。
円通寺は、南北朝時代の永徳2年(1382年)正月、室町幕府3代将軍・足利義満が後円融天皇(北朝第5代天皇)の勅命により創建した曹洞宗の名刹です。
年号の首字より「永谷山」、天皇の宝号より「円通寺」と名付けられ、勅願寺と定めました。
開山の英仲法俊は室町幕府初代将軍・足利尊氏の第四子、第二世の牧翁性欽は時の関白太政大臣・近衛通嗣の第三子にあたります
室町時代から江戸時代の全盛期には、200有余の末寺を有し、丹波、摂津、但馬、播磨にかけて君臨していたそうです。
天正7年(1579年)の明智光秀による丹波攻めの際には、丹波地方の寺社仏閣がことごとく焼き払われるなか、郷士の荻野喜右衛門が光秀の本陣に赴いて必死の説得を重ね、兵火を免れたと寺伝は記しているそうです。
おそらく、ここが天皇の勅願寺であること、近衛家、足利家の所縁深い寺であることなどを理由に説得したんじゃないでしょうか。
光秀はこれを聞き入れ、乱暴狼藉を禁じた三か条の「禁制」と、寺域への馬の乗り入れを禁じた「下馬札」を自ら書き上げ、先陣の兵たちに伝えたといいます。
そのときの光秀直筆の下馬札と禁制が現在も遺されているそうです。
見事に紅葉しています。
山門に向かう石段。
山門です。
山門が紅葉の額縁のよう。
山門をくぐっても紅葉が続きます。
池の周囲の紅葉の見事さに目を奪われます。
逆さ富士ならぬ「逆さ紅葉」。
池の畔にそびえる大杉。
樹齢700年と言われるそうです。
ってことは、円通寺創建前からあったってことですね。
足利義満も明智光秀も、この杉を目にしていたことになります。
紅葉づくし。
向こうに見える塀には、白い5本のラインが入っていますが、これは、天皇家との所縁を表します。
門跡寺院の証ですね。
その説明板。
奥が本堂、右が庫裏です。
戦国時代には兵火を免れた堂宇でしたが、創建時の建物は江戸時代に焼失、現在の本堂や庫裏は、天保年間(1840年)に再建されたものです。
本堂は2階建てになっており、唐風を連想させます。
明治に入って、円通寺も「神仏分離令」による「廃仏毀釈運動」で荒廃が進行していたそうですが、第40世の日置黙仙が尽力し、復興を遂げたそうです。
この石碑は、幕末の剣客として、また墨客としても名高い山岡鉄舟が、日置黙仙の功績を称えて揮毫したものだそうです。
南北朝時代から戦国時代、そして幕末、明治と、歴史上の人物と大いに関りを持った円通寺。
いまは紅葉の名所として、多くの観光客でにぎわっています。
さて、次稿は山南町の石龕寺に向かいます。
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by sakanoueno-kumo | 2020-11-26 23:59 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)