麒麟がくる 第39回「本願寺を叩け」 ~丹波攻略と天王寺合戦、光秀の病と熙子の死~
前話のエンディング間際で丹波攻めの戦端が開かれたかと思えば、今回、その戦いぶりはまったく描かれませんでしたね。明智光秀最大の戦功である丹波攻略をこのまま描かないつもりでしょうか? 今回すっとばされた第一次丹波攻略の経緯を、少しだけ解説します。
天正3年(1575年)6月、光秀は織田信長から丹波攻略を命じられます。この当時、丹波国には一国全域を支配できるほどの勢力を持った国衆がおらず、小領主がひしめき合う群雄割拠の状態でした。彼らは、信長と将軍・足利義昭との関係が良好だった間は信長に従っていましたが、信長が義昭を追放するや否や、信長に対抗する姿勢を見せ始めます。そこで、その丹波の国衆を従わせるべく光秀に命が下ったわけですが、丹波攻略に着手した光秀は、まず、船井郡の小畑永明(前話で光秀が丹波に亡命中の近衛前久に取次ぎを頼んでいた人物)ら京都に近い口丹波の国衆を味方につけ、同年9月、丹波で一番の実力者であった赤井(荻野)悪右衛門直正の居城・黒井城を攻めます。交戦は2ヶ月に及び、黒井城は落城寸前となりますが、天正4年(1576年)1月15日、織田方についていたはずの八上城主・波多野秀治が突如、寝返って明智軍を急襲し、挟み撃ちとなった明智軍は総崩れとなり、壊滅的打撃を受けて命からがら亀山城に退陣しました。直正は波多野氏と密かに手を結んでいたといわれ、この戦いは後世に「赤井の呼び込み戦法」と呼ばれています。天正3年から4年にかけての光秀の第一次丹波攻略は、失敗に終わりました。
ここで光秀の丹波攻略はいったんリセットされ、翌天正5年(1577年)10月から再開することになるのですが、その間、光秀は丹波攻略の戦略の練り直しのみに専念させてもらえず、越前一向一揆との戦いや石山本願寺攻めなど、信長の命令によって各地の戦いにも動員されています。ドラマでは、その石山本願寺攻めが少し描かれていましたね。石山合戦をすべて解説するととんでもなく長くなっちゃうので省略しますが、ドラマで描かれていた天正4年(1576年)4月の天王寺合戦では、大敗を喫して光秀も危機に陥り、信長に救援を要請してからくも難を逃れています。『信長公記』によると、このとき信長は「明衣(ゆかたびら)の仕立」だったとあり、具体的にどのような服装かはわかりませんが、甲冑などの戦闘服ではなく、簡易な服装だったようです。ドラマでも、そう描かれていましたね。このとき信長は自ら陣頭に立って戦い、足に銃弾を受けたといいます。
この戦いの最中の5月23日、ドラマで描かれていたように、光秀は過労で倒れます。丹波、越前、そして大坂と、縦横無尽の激務がたたったのかもしれません。5月24日に京都に戻った光秀は、当代一の名医といわれる曲直瀬道三(望月東庵のモデル?)の治療を受け、光秀の妻・煕子は、光秀のマブダチである吉田兼見に病気平癒の祈祷を依頼しています。ドラマではお百度参りをしていましたね。また、ドラマでは信長自身が見舞いに訪れていましたが、実際にも、信長は見舞いの使者を送っています。信長も光秀の病状に気を使っていたようですね。もっとも、光秀にしてみれば、「あんたの人使いが荒いから倒れたんだ!」と言いたかったかもしれませんが。
光秀が病に伏した同じ年の11月7日、光秀の妻・煕子が亡くなります。吉田兼見の日記『兼見卿記』によると、熙子は10月14日に病気になり、今度は光秀が熙子の病気平癒の祈祷を兼見に依頼しています。しかし、その甲斐もむなしく11月7日に死去。享年も死因を定かではありません。一説には、光秀が重病になった際の看病疲れから体調を崩して病死したとも言われます。光秀の病は京都で死亡説が流れるほど重篤な病状だったといいますから、あるいは、そうだったかもしれませんね。越前での困窮時代には、自身の黒髪を売ってまで夫を支え続けたという内助の功の熙子。光秀は生涯側室を持たなかったといいますから(諸説あり)、そんな最愛の妻の死は、さぞかしショックだったことでしょう。
第一次丹波攻略の失敗、天王寺合戦での大敗、自身の病、そして妻の死と、天正4年(1576年)は光秀にとって苦難の年でした。しかし、翌年には奮起し、雑賀攻めや松永久秀攻め、そして第二次丹波攻略と東奔西走の働きを見せます。最愛の妻を亡くし、その失意から仕事の鬼になったのかもしれませんね。
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by sakanoueno-kumo | 2021-01-04 14:34 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(2)
赤井さんも波多野さんも出てこない。
戦国物をドラマ化する場合、やはり戦闘シーンをイラストではなく、もうちょっと真剣に(コロナ禍だからCGでも駆使して)映像化できないものでしょうか?
真田丸の時なんか良かったですよね~(遠い目)
こんな描写だと、どうしてあそこで光秀がぶっ倒れるか見てるひとは理解不能だと思うんです。
本能寺の変が今までにない・・・とか前宣で言ってましたが、期待していいのでしょうか?
ですよね。
光秀が直接関わっていない戦はナレーションでかたずけられても仕方がないと思いますが、丹波攻略は比叡山焼き討ちと同じぐらい、光秀の生涯では重要な戦ですからね。
あれでは、この時期、いかに光秀が縦横無尽に働いていたかが伝わりません。
コロナは関係ないんじゃないでしょうか。
こういうのって、企画段階からある程度脚本の割り振りは決まっていたでしょうから、最初から詳しく描くつもりはなかったんじゃないでしょうか?
戦闘シーンが多いと、女性の視聴者が離れていくそうですし。
>本能寺の変が今までにない・・・とか前宣で言ってましたが、期待していいのでしょうか?
光秀の物語ですから、本能寺の変と山崎の戦いはしっかり描くでしょう。
だとすると、残り5話しかないですから、逆算して、最終回が山崎の戦い、その前の回が本能寺の変、その前の回が本能寺の変直前(安土城の饗応役とか)とすると、それ以外は2回しかない。
そのうち次回は信貴山城の戦いで松永久秀が死ぬようですから、ここでまた1回使う。
とすると、どう考えても、第二次丹波攻略や丹波平定後の福知山城築城や丹波の統治、それから京都御馬揃えといったあたりがすっ飛ばされそうですね。
やはり、美濃編が長すぎた・・・それにつきます。
















