天橋立を望む丹後八幡山城跡。 その1 <八幡神社~段曲輪群>
細川藤孝(幽斎)・忠興父子が築いた丹後宮津城があったとされる京都丹後鉄道の宮津駅から、直線距離で1.2kmほど南下したところにある八幡山の山頂に、かつて八幡山城がありました。
ここは、天正7年(1579年)、織田信長の命を受けて丹後を攻略した細川藤孝(幽斎)・忠興父子が、最初に入った城と言われています。

八幡山城跡はのある八幡山は標高165mあります。
その登山口には、中腹にある八幡神社の鳥居があります。

鳥居横に駐車スペースがあります。

登山口にあった説明板です。

縄張り図を拡大します。
標高165mの頂上に主郭があり、その北側に無数の段曲輪が配置されているのがわかります。
その規模は、南北約720m、東西約400mと、丹後でも最大級の山城です。

いざ、出陣。

登り始めは神社に続く石段がつづきます。

鳥居から神社まで、けっこう距離があります。

鳥居から登ること約10分、小さな祠が2基現れました。
どうやら、ここを登ったところが神社のようです。

八幡神社です。

麓にあった説明板によると、この八幡神社は平安時代の長和5年(1016年)、丹後国の守護であった藤原保昌が、京の石清水八幡宮を勧進したと伝えられる古社だそうです。

藤原保昌は藤原道長・頼通父子の家司を務めた人物で、武勇に秀で、源頼信、平維衡、平致頼らとともに道長四天王と称された人です。
妻はあの女流歌人の和泉式部です。

社殿の右奥から城跡への登山道が続いています。

あと500m。

そこから50mほど進んだところに、分岐点があります。
何も考えずに道なりに進んでいくと右の道に行ってしまいそうになるのですが、左の細い道に入らなければなりません。
わたし、ここ、間違えて右へ進んでしまって、途中で気付いて引き返してきました。

あと450m。
この看板が目に入らなかった。

麓の縄張り図にあったように、八幡神社を過ぎると、段曲輪群が始まります。

そのひとつひとつの曲輪がけっこう広い。

ここも。

ここも。

あと300m。

土塁のような盛り上がった地形の上に、なにか石積みのようなものが見えます。

これ、何でしょう?

こっちは石の祠のようです。
八幡神社と関係があるのでしょうか?

こっちのキノコのような形の石積みは何のためのものかわかりません。

この土塁の下は大きな堀切になっています。

そして反対の高い切岸。

先へ進みましょう。

石垣が崩れた跡でしょうか?

これなんて、明らかに人工的に削られた石に見えます。

これは間違いなく石垣跡でしょう。

まだまだ段曲輪がつづきます。

何段あったか数えていません。
上の縄張り図で数えると、主郭を入れて10段の曲輪群のようです。

残り100m。

高い切岸に丸太の階段と単管の手すりが設置されていました。

ここを登ると、いよいよ城跡主郭部です。

天橋立展望と書かれた誘導板が。

おおっ!
これは見晴らしが良さそう・・・というところで、長くなっちゃったので「その2」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2021-01-05 23:45 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)
















