天橋立を望む丹後八幡山城跡。 その2 <天橋立展望曲輪>
「その1」のつづきです。
登山開始から約30分、見晴らしのいい曲輪に到着しました。
ここは標高165mの山頂にある八幡山城主郭より一段下の北曲輪です。

日本海が見えます。

絶景ですね。
手前の町並みが、宮津城があったとされる宮津の街。その向こうの海に目を向けると、日本三景のひとつとして有名な天橋立が見えます。

天橋立にズームイン。

さらにズームイン。
天橋立といえば神話の世界ですね。
『古事記』によると、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の国生みにおいて、天の浮橋に立ち、天の沼矛をまだ何も出来ていない海原に下ろし、「こをろこをろ」とかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって島になったとされています。
このようにしてできたのが「オノゴロ島」であり、天の浮橋が天橋立のことと言われています。

また、『丹後国風土紀』によると、国を造ったイザナギが、イザナミの元へ天から通うために梯子を造り、天につながる梯子ということで「天の椅立(はしだて)」と名付けたそうです。
その梯子が、神の寝ている間に倒れてしまったそうで、それが現在の天橋立なんだとか。
天橋立って、イザナギとイザナミの逢い引きのための梯子だったんですね。

丘の上に天橋立ビューランドが見えます。
あそこから見る天橋立が絶景だそうですが、この日は時間がなく行けませんでした。

天橋立のさらに北にそびえる鼓ヶ岳です。

宮津の街にもズームインしましょう。
宮津城があったとされる場所です。
天正7年(1579年)、織田信長の命を受けて丹後を攻略した細川藤孝(幽斎)・忠興父子は、まず最初にここ八幡山城に入り、翌年の天正8年(1580年)8月、宮津城を築いて居を移しています。

細川ガラシャの像のある大手川ふれあい広場が見えます。

ガラシャ像を拡大。
ちょっとわかりづらいですね。

曲輪には、幟のような布が畳まれています。

広げて見てみると、細川氏の家紋の「九曜」です。

せっかくなので、立ててみました。
後でちゃんと元に戻しておきますので。

天橋立と「九曜」。
いいですね。
450年前、細川父子がこの城に入ったときも、こうして天橋立が見えていたはずです。

幟が立つと、城跡らしくなりますね。

「希望桜」だそうです。

こっちは「宮村桜」です。

こちらは「八幡山城もみじ」だそうです。
ここを訪れたのは令和2年(2020年)9月19日。
桜も紅葉も縁のない季節でした。

さて、景色を堪能したので、いよいよ主郭に向かいましょう。

主郭下にやってきました。
石垣の遺構に思わず興奮・・・ですが、長くなっちゃったので、つづきは「その3」にて。
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by sakanoueno-kumo | 2021-01-06 23:19 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)
















