天橋立を望む丹後八幡山城跡。 その3 <主郭~帯曲輪>
「その2」のつづきです。
丹後八幡山城主郭下に到着。
いきなり目の前に石垣の遺構が飛び込んできました。

石垣は野面積み。

見事に残っていますね。

苔むした感じがいい。
古城ファンにはたまらないショットです。

丹後八幡山城の築城時期については定かではなく、『丹州三家物語』によると、一色五郎の居城だったと記されています。
丹後国守護の一色氏は、明徳2年(1391年)の明徳の乱で戦功を挙げた一色満範を初代として、代々、丹後一円を支配してきた名族です。
この八幡山城がそのいつの時代に築かれたかはわかりません。

でも、石垣はおそらく戦国時代後期のものでしょうから、細川藤孝(幽斎)・忠興父子に滅ぼされた一色義道・義定父子の時代か、あるいは細川氏の手に渡ってからのものでしょう。

主郭に登る前に、主郭の周囲を一周してみましょう。

主郭の周囲は帯曲輪で囲われています。

その切岸には、所々に石垣の痕跡が見られます。

これも石垣が崩れた跡でしょうね。

これなんて、おそらく出隅石垣の跡でしょう。
しかも、微妙に算木積みのようです。

さて、1周したので、主郭に登ります。

主郭です。
よくわからない竹竿と照明器具があります。

中央に「八幡山城跡」と書かれた立て札が。

主郭はそれほど広くなく、東西15m、南北10mほどです。
この規模では、それほど大きな建物はなかったでしょうね。

主郭は大きな樹木で覆われていて、「その2」で紹介した北曲輪のように眺望はききません。

北側の木の間から、かろうじて天橋立が見えます。

ズームイン。

この正面の木を伐採してくれたらいい景色でしょうね。

主郭からの西側眺望です。

主郭にも、北曲輪と同じ幟が畳まれていました。

せっかくなので、広げてみました。
細川氏の家紋の「九曜」です。

あとでちゃんと元に戻しておきます。

わたしの登山アイテム。

さて、主郭まで制覇しましたが、主郭下の帯曲輪の南側にも曲輪が伸びているようなので、行ってみましょう。

主郭南曲輪です。

ここにも大きな石が転がっています。

これも石垣の痕跡でしょうか?

南曲輪の最南端にやってきました。

下を覗き込むと、さらに南にも曲輪があるようですが、切岸が高い上に降りる道もついていないので、城攻めはここまでにしました。

最後に、「その2」で紹介した北曲輪に戻って天橋立の眺望をもう一度。

一色氏の時代も細川氏の時代も、ここから見える天橋立は同じだったでしょう。
国破れて山河あり、城春にして木深し。
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by sakanoueno-kumo | 2021-01-08 18:32 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)
















