人気ブログランキング | 話題のタグを見る

麒麟がくる 第40話「松永久秀の平蜘蛛」 ~信貴山城の戦い~

 織田信長石山本願寺の戦いが泥沼化していた天正5年(1577年)8月17日、対本願寺の付城である天王寺砦に定番として詰めていた松永久秀が、突如、砦を焼き払って信長に反旗を翻し、息子の松永久通とともに信貴山城に立て籠もりました。ドラマでは描かれていませんでしたが、久秀が信長に背くのは2度目で、1度目は信長と将軍・足利義昭が対立した際、義昭のはたらきかけに応じて信長包囲網に加わりました。しかし、結局このとき義昭は敗北して追放されるわけですが、意外にもこのとき久秀は赦されます。信長の気性からして、謀反を起こした者を赦すのは例にないことですが、それほど信長は久秀の能力を買っていたのかもしれません。ただ、謀反前と同じ待遇というわけにはいかず、大和の支配権塙直政に奪われました。


麒麟がくる 第40話「松永久秀の平蜘蛛」 ~信貴山城の戦い~_e0158128_00493725.jpg ところが、その塙直政が天正4年(1576年)5月3日に本願寺との戦いの中で討ち死にします。となると、直政に代わって大和の支配は久秀が再び任されるであろうと思いきや、信長は久秀の宿敵だった筒井順慶守護にすえます。信長にしてみてば、一度謀反を起こしている久秀よりも、古くから大和に地盤のある筒井を置くのは当然の人選だったのでしょう。しかし、久秀にとっては、これが面白いはずはありません。久秀にしてみれば、一度信長を裏切ったという前科を持ちながらこのまま信長に仕えていても出世は望めず、用済みとなったらお払い箱になるかもしれないという危機感を募らせていたのかもしれません。だったら、いっそのこと信長を打ち破って、起死回生に賭けたのかもしれませんね。


麒麟がくる 第40話「松永久秀の平蜘蛛」 ~信貴山城の戦い~_e0158128_01023502.jpg 久秀がこのタイミングで反旗を翻したのは、この9日前の8月8日、柴田勝家を大将に、滝川一益、丹羽長秀、羽柴秀吉、前田利家、佐々成政らが、越後の上杉謙信と対峙すべく加賀に出兵したことも影響していたと思われます。織田軍の主力といえるそうそうたるメンバーが北国に向かったことで、畿内は手薄になる。しかも、相手が上杉謙信となると、織田軍の苦戦は免れ得ないだろう。久秀はそう考えたのかもしれません。久秀1度目の謀反のときも、将軍・足利義昭の呼びかけによって甲斐の武田信玄が動いたことに呼応したものでした。今回の謀反は、上杉謙信に期待したものだったのでしょうね。久秀の読みどおり織田軍は思うような戦果はあげられず、しかも、柴田勝家と羽柴秀吉の意見が合わずに対立し、秀吉が無断で戦線離脱するというハプニングもおきます。そして9月23日、手取川の戦いで織田軍は敗北を喫するのですが、ところが、どういうわけか、このあと謙信は織田軍を深追いせず、兵を戻してしまいます。その理由は定かではありませんが、旧暦の9月下旬といえば、そろそろ雪の降る季節に入るため、これ以上の南下は難しいと謙信は考えたのかもしれません。


 上杉軍が撤退したことで、松永久秀は孤立無援となります。それでも信長は久秀をいきなり攻めず、家臣の松井友閑を派遣して説得を試みますが、久秀はこれに応じませんでした。このため、久秀が信長のもとに人質として差し出していた二人の息子が、京都六条河原で処刑されています。そして9月27日、信長は嫡男の織田信忠を総大将として、久秀討伐を開始します。


麒麟がくる 第40話「松永久秀の平蜘蛛」 ~信貴山城の戦い~_e0158128_01053366.jpg 10月1日、明智光秀、細川藤孝・忠興父子、筒井順慶らは、信貴山城の支城の片岡城を攻めます。この城攻めでとりわけ細川忠興の活躍が目立ったとして、信長から自筆の感状が与えられています(この感状は現存しています)。また、光秀の活躍も大きかったようで、早々に片岡城は落城。そして10月3日、久秀が籠る信貴山城に迫った織田軍は城下に火を放ち、10月5日から4万の大軍で攻撃を開始するも、難攻不落の信貴山城は容易には落ちませんでした。しかし、衆寡敵せず、援軍の見込みもないなか久秀はついに観念し、10月10日、天守に火をかけて自害しました。久秀は享年68、息子の久通は享年35でした。この10月10日というのは、ちょうど10年前の永禄10年(1567年)、久秀が三好三人衆との戦いで東大寺を焼いた日と同じ日でした。そのため、人々は神罰だと噂したといいます。


 信貴山城が包囲されたとき、織田軍の佐久間信盛が茶器の古天明平蜘蛛をよこすよう求めるも、久秀は「平蜘蛛の釜と我らの首の2つは信長公にお目にかけようとは思わぬ、鉄砲の薬で粉々に打ち壊すことにする」と返答したといい、久秀自害の際、自らの手で粉々に打ち砕かれたとも、爆薬を仕込まれて木っ端みじんになったともいわれます。しかし、これらの説は皆、江戸時代に入ってからの軍記物語などに見られる逸話で、史料として信憑性の高い『信長公記』には、平蜘蛛の釜については一言もふれられていません。なので、実際にはどうなったかわからないようです。今回のドラマでは生前に光秀に託したという設定でしたが、光秀ではなかったとしても、あるいは誰かの手に渡ったということは、あったかもしれません。400年の時を越えて、どこかの蔵から世紀の大発見があるかもしれませんね。


 今回のドラマでは、その平蜘蛛の釜をめぐって信長との間に不穏な空気が流れ始めるという展開でしたね。その背景に、秀吉の暗躍が見られました。前回の話では、徳川家康菊丸(この人はおそらく服部半蔵でしょうね)の間でも、意味深な会話がありました。また、三条西実澄正親町天皇の真意も、まだよく見えません。秀吉陰謀説、家康共謀説、朝廷黒幕説など、さまざまな本能寺の変を匂わす伏線が敷かれ始めました。どんな本能寺の変になるのか、楽しみですね。



ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓



更新を通知する


by sakanoueno-kumo | 2021-01-11 01:06 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(0)

 

<< 明智光秀ゆかりの愛宕山登山記。... 天橋立を望む丹後八幡山城跡。 ... >>