明智光秀ゆかりの愛宕山登山記。 その3 <なかや跡(3合目)~カワラケ投げ>
「その2」のつづきです。
二十五丁の丁石のところに、また立派な石垣があります。

まるで城跡の虎口のようです。

見上げると紅葉が彩ります。

城跡なら、この石垣の上に櫓門があったのでしょうが、愛宕山表参道に残る石垣は、江戸時代から明治にかけての茶屋跡です。

石垣の上は削平地になっていて、茶屋跡を示す石碑と説明板があります。

説明板によると、ここは「なかや」という茶屋兼宿屋があった場所だそうです。

こちらの説明板によると、「なかや」は古典落語『愛宕山』にも登場するそうです。
昭和初期に麓の清滝の渡猿橋の畔に移転され、現在も営業されているそうです。
落語の『愛宕山』は、数年前に亡くなられた3代目桂米朝や、昭和から平成の初期にかけて売れっ子だった2代目桂枝雀がよく演じていました。

現在は休憩の小屋のみがあります。

紅葉が美しい。
この地点で標高387m。
まだ3合目です。

先に進みます。

例の消防団の看板です。
「14/40 火遊びはやっちゃイケないヤラせない♡」。
下ネタかよ!(笑)

この日は令和2年(2020年)11月15日。
小春日和のさわやかな1日でした。

なので、登山客もたくさん。

登山開始から約1時間、また茶屋跡とみられる削平地に到着しました。

説明板によると、ここにはかつて「水口屋」という茶屋があったそうです。
江戸時代から明治にかけて、愛宕山表参道には多くの茶屋がありましたが、昭和4年(1929年)に愛宕ケーブルが開通すると、ほとんどの茶屋は麓の清滝に移ったそうです。
ここにあった「水口屋」は、ケーブル山頂駅の南側に移転し、料理旅館として昭和19年(1944年)の廃線まで営業されていたそうです。
なお、ここにあった建物は、昭和11年(1936年)、松坂屋の創業者である伊藤次郎左衛門祐民氏が施主となり、嵯峨鳥居本六反町の元伊藤家別邸へ移築され、今も残っているそうです。

ここも休憩用の小屋のみがあります。

この地点で標高526m。
いつもの山城めぐりなら、もう頂上を過ぎている高さですが、今回はまだ5合目です。

先へ進みます。

ときどき、こうした倒木があります。

見上げると紅葉が青空を彩ります。

眺望のきく場所に出ました。
嵐山や京都市内が一望できます。

桂川が見えます。

はるか向こうに京都タワーが見えます。
明智光秀がここを歩いたときには、本能寺も見えていたかも。

先を急ぎましょう。

「23/40 火遊びはヤ・メ・テ♡」
また下ネタ(笑)。

「27/40 お上りやす お下りやす 交わす挨拶 火の用心」
普通、登山客は山ですれ違う人と「こんにちは」と挨拶を交わすのが一般的ですが、愛宕山では、下山中の人が登山中の人へ「おのぼりやす」と言い、逆に、登りの人が下りの人へ「おくだりやす」と声を交すそうです。
でも、この日は多くの人とすれ違いましたが、皆、「こんにちは」でしたけどね。

しばらく登ると、ベンチに腰掛けている人と、その横に説明板が設置されているのが身に入りました。

説明板には「カワラケ投げ」とあります。
「カワラケ」とは、土器のお皿のことですね。
愛宕山のカワラケ投げは有名だったようで、古典落語『愛宕山』や大念仏狂言にも題材として取り上げられています。

ここからカワラケを投げていたんですね。

さて、今回もまた長くなっちゃいました。
「その4」に続きます。
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by sakanoueno-kumo | 2021-01-14 23:06 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)
















