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麒麟がくる 第41話「月にのぼる者」 ~丹波の光秀、播磨の秀吉~

 天正5年(1577年)10月16日、明智光秀第二次丹波攻略に取り掛かります。同月10日に信貴山城の戦い松永久秀自刃に追い込み、その後、返す刀で兵を休める間もない出陣でした。ドラマでは描かれませんでしたが、丹波に侵攻した光秀は、まず、細川藤孝・忠興父子とともに亀山城を攻めます。亀山城では、この直前、城主の内藤定政が病死し、軍の指揮は家老の安村次郎右衛門が執っていました。亀山城を包囲した光秀は、当初、勧降工作を行いますが、安村がこれに応じなかったため戦いとなります。攻防は三日三晩続いたといいますが、結局、猛攻に堪えかねて安村は降伏します。


麒麟がくる 第41話「月にのぼる者」 ~丹波の光秀、播磨の秀吉~_e0158128_19245426.jpg亀山城落城の報告を受けた織田信長は、内藤氏と亀山城の処分を光秀に一任しています。任された光秀は、内藤氏とその家臣団をすべて赦し、彼らを自身の家臣団に取り立てました。また、それ以外の土豪たちにも、武器を捨てて村に帰り、田畑を耕しなおすよう勧めています。これはドラマで描かれていましたね。歯向かった者に対しては情け容赦なく首をはねる信長とはまったく対処方法が違いますが、これは、光秀が慈悲深い人だったということではなく、こののち広い丹波国を攻略していくにあたって、ここでいたずらに恨みを買うよりも、彼らに恩を売って味方につけた方が得策と考えたからでしょう。光秀なりの政治だったのでしょうね。実際、このとき家臣に取り込んだ四王天政孝が、この2年後の黒井城攻めで大きな働きを見せています。成り上がりの光秀にとって、敗軍の有能な人材を取り込むというのは、家臣団を強化する手っ取り早い策でした。


 この亀山城の戦いで、安村次郎右衛門が降伏してきた際、光秀とともに亀山城を攻めていた細川忠興が、「落城間際の降伏は認められない」として、そのまま攻撃を続行しようとしていましたが、これを見た光秀が、「そうした行動は慎むように」と、きつく叱りつけたという逸話があります。血の気の多い忠興なら、いかにもありそうなエピソードですが、光秀の生真面目な人となりもよくわかるエピソードです。ドラマの光秀のキャラにもピッタリのエピソードですよね。これ、描いてほしかった逸話です。


 麒麟がくる 第41話「月にのぼる者」 ~丹波の光秀、播磨の秀吉~_e0158128_18265251.jpg光秀が亀山城を攻めていた同じ頃、信長によって中国攻めの司令官に任命された羽柴秀吉が、丹波の隣の播磨に乗り込みました。このころ、中国地方に目を向けると、毛利氏が圧倒的な強さを誇っていました。先君・毛利元就の時代に中国地方をほぼ制圧した毛利氏は、その元就亡きあとも、その孫・毛利輝元吉川元春小早川隆景が補佐する三本の矢体制で、今なお勢力を保ち続けていました。信長がこれ以上勢力を伸ばし続けると、いずれ西国の覇者である毛利氏と激突することになります。となると、その前に、毛利氏の息のかかった播磨の国人衆を抑える必要があったんですね。その役を任されたのが秀吉でした。ここに、丹波は光秀、播磨は秀吉という重要な任務を二人が任されることになります。織田家家臣のなかで、名目上は家老である柴田勝家佐久間盛信の方が上でしたが、実質的には、光秀と秀吉が織田家のツートップといってよかったでしょう。それだけに、おそらく二人はライバルとして意識していたでしょうし、あるいは、ドラマのように、足を引っ張りあうようなこともあったかもしれません。信長の死後、両者が激突するのは必然だったといえるかもしれませんね。


麒麟がくる 第41話「月にのぼる者」 ~丹波の光秀、播磨の秀吉~_e0158128_15121270.jpg ちなみに、この秀吉の播磨攻め司令官任命が面白くなかったであろう人物がいました。今回のドラマには出てきていませんが、摂津有岡城主の荒木村重です。村重はこの2年前から、信長の命によって播磨の国人衆を味方に引き入れるよう働きかけていました。ところが、その下工作が形になりかけたとたん、信長は村重を石山本願寺攻めの担当に配置換えし、播磨の担当は秀吉にとって代えられます。その後、秀吉はその抜群の能力で目覚ましい戦果を挙げていくので、信長の人選は正しかったといえるのかもしれませんが、当然、自身が播磨攻めの司令官に任命されるであろうと思っていた村重にしてみれば、面白いはずがありません。この翌年に謀反を起こすことになる村重ですが、あるいは、このときの不満も、村重謀反の要因だっかかもしれませんね。思えば、松永久秀の謀反も、久秀の宿敵だった筒井順慶を大和の守護にすえたことによるものでした。信長の合理的な人選というのは、結果として大きな摩擦を生んでいます。光秀の謀反も、あるいはそうだったかもしれません。



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by sakanoueno-kumo | 2021-01-18 15:14 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(4)

 

Commented by heitaroh at 2021-01-19 14:44
ちょっと思ったのですが、光秀ではなく、やたら、十兵衛と呼びますよね。
で、天皇までが「のう、明智十兵衛」と言うのを聞いて、ふと思ったのですが、あれって、当時はじゅうべえではなく、じゅうひょうえだったんじゃないですか?
大正時代の総理大臣、山本権兵衛はごんのひょうえでしたので、べえというようになったのは昭和に入ってからかと思っていたのですが。
Commented by sakanoueno-kumo at 2021-01-19 16:30
> heitarohさん

>べえというようになったのは昭和に入ってから

そうなんですね。
知りませんでした。
私は、正しくは「ごんのひょうえ」だけど、言いにくいから、俗に「ごんべえ」と呼ばれていたのかと思っていました。
じゃあ、「うっかりはちべえ」は、本当は「うっかりはちひょうえ」ですね(笑)。

ちなみに、そもそも今のドラマの時点では、もう明智十兵衛ではなく、惟任日向守光秀なんですよね。
でも、ドラマではずっと明智殿ですよね。
まあ、視聴者が混同しないようにということなんでしょうが。
信長の呼び方も、もう右大臣なんだから、「殿」ではなく「上様」が正しいですよね。
こういうところは、昔の大河はきっちりしていましたよね。
Commented by kumikokumyon at 2021-01-20 11:13
今回はなかなか見応えがありました、もう少し信長があそこまでになる過程を細かく描いてほしかったような気がしますが、これも全て駒と東庵先生を出し過ぎたツケですね。
私は女子?目線で信長や光秀の衣装の美しさを再確認させられました。さすが黒沢監督の娘さん!光秀の地味に見える衣裳も左右違う布地だったり・・・楽しめました!
前コメント・・・「有馬兵衛の向陽閣へ~♪」は絶対ヒョウエですね。アリマベエだと拍子抜けですよね。脇逸れごめんあそばせ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2021-01-20 23:05
> kumikokumyonさん

>信長や光秀の衣装の美しさを再確認させられました。

『麒麟がくる』は、大河ドラマ初の4K映像だそうで、放送当初から衣装の美しさにこだわっているとの話でしたよね。

>「有馬兵衛の向陽閣へ~♪」は絶対ヒョウエですね。

たしかに(笑)。
でも、このCM、関西以外の人に伝わるのかなぁ・・・(笑)。

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