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明智光秀ゆかりの愛宕山登山記。 その6 <愛宕神社>

「その5」のつづきです。

この石段を登りきったところに、愛宕神社が鎮座します。


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標高900m以上の登山のあとのこの階段は、けっこうキツイ。


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「愛宕神社」の石碑です。


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鉄製の両部鳥居です。


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そして、こちらが神門


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神門をくぐると、また石段があります。


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石段を登りきったところが、標高924m愛宕山山頂

向こうに本殿が見えます。


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本殿です。


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愛宕神社は全国に約900余りある愛宕神社の総本社で、防火・火伏の神として崇敬されています。

大宝年間(701~704)、修験道の祖とされる役小角と、白山の開祖として知られる泰澄によって朝日峰神廟が建立されたのが創建とされます。


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天応元年(781年)に慶俊僧都、和気清麻呂によって中興され、愛宕山に愛宕大権現を祀る白雲寺が建立されました。


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戦国時代、明智光秀が幾度となくここ愛宕神社に戦勝祈願に詣でたといいます。

本能寺の変の3日前の天正10年5月28日(1582年6月18日)、明智光秀はここ愛宕山五坊の一つである威徳院で、連歌会を催しました(5月24日という説も)。

このときの連歌を『愛宕百韻』といい(「明智光秀張行百韻」「天正十年愛宕百韻」ともいう)、この『愛宕百韻』の光秀が詠んだ発句が、本能寺の変を暗示していたとして知られています。


ときハ今 あめが下しる 五月哉


「とき」を「時」ではなく「土岐」にかけ「雨が下しる」「天が下知る」と意味し、「今こそ、土岐氏一族の出身であるこの光秀が、天下に号令するときである」という意味合いを込めた句であるといいます。

そう言われればそう思えますし、こじつけと言われればそうとも言えます。


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ただ、この解釈については、多くの学者さんたちが概ね肯定的にとらえています。

というのも、この時代の和歌(特に連歌)は、どれだけ多くの隠語比喩をを用いるかが勝負だったらしく、ほとんど掛詞あそびで、ダジャレとんち合戦だったそうです。

何の掛詞もなく見たまま思ったままをストレートに詠うようになるのは、もっと後年、松尾芭蕉の登場以降だそうで、光秀の時代の歌というのは、直訳したらダメなんだとか。


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光秀は、この時代の連歌の第一人者である里村紹巴と互角に渡り合えるほどの達人だったといいますから、光秀の歌にはたくさんのメタファーが散りばめられていると考えていいのでしょう。

ときハ今 あめが下しる 五月哉」が、本能寺の変の3日前に詠まれたことを思えば、よほど衝動的な事件でない限り、この歌を詠んだときの光秀は、すでに謀反を決意していたか、あるいは迷っていたはず。

となれば、よく言われるこの歌の解釈は、決してこじつけではないのかもしれません。


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ただ、それで目論見が事前に漏れてしまったら元も子もないんですけどね。

司馬遼太郎『国盗り物語』では、里村紹巴だけがこの歌の真意に気づいたとしていましたが、実際はどうだったのでしょうね。


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こちらは「愛宕山大権現」絵馬

嘉永元年(1848年)とあります。


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光秀は連歌会の前日、ここ愛宕神社で戦勝を祈願し、おみくじをひきました。

ドラマや小説などでよく描かれるのは、最初に引いたおみくじが「凶」で、もう一度引くも、また「凶」で、3度目にやっと「吉」が出たという逸話で、本能寺の変を前に、光秀の揺れ動く心理状態を表しているエピソードといえます。

もっとも、この逸話の元となる『信長公記』には、光秀が太郎坊の社前で、おみくじを二度三度と繰り返しひいたということだけで、おみくじの結果については確かなことはわかっていません。

なぜ二度三度引いたのかはわかりませんが、「吉」が出るまで引き続けたというのは、後世の脚色のようです。


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で、せっかくなので、私もおみくじを引きました。

「末吉」でした。

微妙・・・(苦笑)。


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御朱印は3種類ありましたが、普段、御朱印集めをしていない私が買うのは、やはり、いちばん左の光秀公バージョンでしょう。


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ときハ今 あめが下しる 五月哉


この発句は、本当に本能寺の変を暗示していたのか・・・。

実際、いつ、どのタイミングで光秀が謀反を決意したのかは、想像するしかありません。


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さて、愛宕神社を参拝したので、下山の途につきます。

「その7」につづきます。




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by sakanoueno-kumo | 2021-01-21 23:38 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)

 

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