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明智越え その2 <保津城跡~峯の堂>

「その1」のつづきです。

明智光秀織田信長を討つために本能寺へ向かう際に通ったと伝わる「明智越え」登山口からスタートです。


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敵は本能寺にあり!

いざ、出陣!


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立て札には「通称、簾戸口」と書かれており、その下に小さく「保津城口」とあります。

保津城?・・・て、ここに城があったのでしょうか?


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とにかく、進みましょう。


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登山口を入ってすぐ、「愛宕神社・貴船神社 妙見さん跡」「伝承民話 保津三狐 山坊の甚五郎住処跡」と書かれた2つの立て札がありました。

すぐさまスマホでググってみましたが、どちらも詳細はわかりません。

「保津三狐」っていうのは、おそらく保津地方に伝わる民話のことで、その話に山坊の甚五郎っていう人(狐?)が登場して、その住処がここにあったということでしょうね。


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立て札の付近を見てみましたが、たしかに削平地となっていて、何か建物があったかもしれない地形です。


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そこから少し進むと、また立て札が2基あります。


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向かって右側の立て札には「右手 保津城跡」とあります。

登山口の立て札にあった保津城ですね。


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確かに、よく見ると、削平地が何段にも連なる段曲輪になっています。


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これまたスマホでググってみましたが、保津城は明確な築城時期や城主などはわかっておらず、南北朝期の観応3年/正平7年(1352年)に攻め落とされたという記録が残っていることから、それ以前からあった城のようです。


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戦国時代には、亀岡には余部城(丸岡城)があり、それを明智光秀が攻め落として亀山城を築いたという記録はあるものの、保津城があったかどうかはわかりません。

ここは亀山城から愛宕山に登る登り口で、光秀は何度も愛宕神社に参拝したといいますから、あるいは、この城も改修して誰か代官を詰めさせていたかもしれません。


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これなんて、どう見ても立派な堀切跡ですね。


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で、もうひとつの立て札を見てみると、「左 空池 右 土取り場跡」と書かれています。


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中央に土橋のような地形があり・・・。


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その左手には、たしかに干上がった池があります。


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土橋の右側は急斜面になっています。

ここが土取り場ということでしょうか?

城跡と何か関係してる?

説明書きがないので、よくわかりません。


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先へ進みましょう。


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ここを訪れたのは令和2年(2020年)10月31日、小春日和の爽やかのハイキング日和です。


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とは言うものの、道のりはけっこう険しい。


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こんな道を光秀軍は武装して行軍したのでしょうか?


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保津城跡から5分ほど登ると、また立て札が2つ現れます。


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右側の立て札には、「伝承民話 身代わり地蔵 保津観音の伝説」とあり、左側の立て札には「山帰り、肩荷を解く一服場 帯解け石」と書かれています。

帯解け石というのは、おそらくここに山仕事を終えて下山してきた村人が休憩する石があったのでしょう。

保津観音の伝説というのは、例によって説明板がないので、わかりません。

身代わり地蔵というぐらいですから、何か悲話が伝わっているのでしょうね。


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先へ進みましょう。


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気持ちいい道のりです。


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見上げると、雲ひとつない青空


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山道ばかり載せていても、つまらないでしょうか?


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標高が高くなってくると、木々が根こそぎ倒れておる光景が頻繁に見られるようになります。


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これは、おそらく、平成30年(2018年)9月4日に上陸した台風21号による被害でしょう。

あれ以来、関西の山ではあちこちでこのような光景を目にします。


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こっちでも。


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登山口から約40分

また何か立て札が見えてきました。

どうやら、あそこが案内パンフにあった峯の堂のようですが、本稿も長くなっちゃったので、「その3」に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2021-01-28 23:56 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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