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明智越え その4 <土用の霊水~JR保津峡駅>

「その3」のつづきです。

土用の霊泉をあとにして東へ進みます。


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土用の霊泉から尾根筋を15分ぐらい進むと、鉄塔の立つ場所に出ました。


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山を登っていていつも思うことですが、こんな山奥にどうやってこんな鉄塔を建てるのでしょう?

資材を運び込むこと自体、困難だと思うのですが・・・。


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北西側に亀岡の街が見えます。


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南東に目をやると、山間に京都市内が見えます。


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拡大すると、京都タワーが見えます。

本能寺は見えません。


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ここで昼食タイムです。

この「明智越え」ハイキングコースといいながら、道中、休憩できるようなスポットがあまりなかったんですよね。

なので、この鉄塔の下で休憩です。


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休憩を終えて、先に進みます。


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休憩スポットは少ないですが、案内板誘導板は充実していて、迷うことはありません。


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右へ行けば明智越え、左へ行けば神明峠とあります。

神明峠の方向に行けば、愛宕山の登山ルートに繋がります。

おそらく明智光秀も愛宕山参拝で通った道です。


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また眺望のきく場所に出ました。


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ここは、さっきの景色より北の洛北ですね。


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少し北に目を移すと、比叡山も見えます。

あの比叡山の向こうに、明智光秀のもうひとつの居城、坂本城がありました。

本能寺の変の際、光秀の家族は坂本城にいたはずです。

光秀はどんな思いでここから比叡山を見ていたのでしょう。


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天正10年6月1日(1582年6月20日)夜半、明智光秀率いる1万3000の兵が亀山城を出陣。

光秀は部隊を3つに分け、北、中、南の3方から洛中に向かったという説があり、北から「明智越え」「唐橿越え」「老ノ坂越え」と呼ばれます。

地元の伝承では、このうち明智光秀の本隊が進軍したのが、いちばん北の明智越えルートだったといわれているそうです。


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光秀が重臣たちに織田信長を討つという本心を明かしたのはいつだったのかは定かではありませんが、一般的には、出陣を前にして、明智秀満、斎藤利三、明智光忠、溝尾庄兵衛、藤田伝五の5人に初めて謀反の決意を伝えたといわれています。

突然の告白に5人は驚きますが、光秀の決意が固いことを知ると、5人も従う覚悟を決めたといいます。


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もっとも、別の説では、光秀が5人に決意を語ったのは出陣後のことだったという説もあり、その場所は、戦勝祈願に立ち寄った篠八幡宮だったとする伝承があります。

篠八幡宮は八幡宮の名の通り、源氏の氏神であり、平安時代には八幡太郎義家が東征のときに祈願したという由緒や、太平記の時代には足利尊氏が鎌倉幕府に反旗を翻して挙兵した歴史を持つ場所でもあります。

光秀の出自は土岐源氏の庶流と言われますから、それが本当なら、八幡太郎義家や足利尊氏ら源氏の祖先の先例にあやかったのかもしれません。


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ただ、となると、光秀の通ったルートは「老ノ坂越え」となり、「明智越え」ルートは通っていないことになるのですが・・・。


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いずれにせよ、信長を討つということを知っていたのは重臣だけで、末端の兵たちは、おそらく何も知らずに本能寺に向かったのでしょう。

「敵は本能寺にあり!」は、たぶん言わなかっただろうと。


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北側に民家が見えます。


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水尾集落です。


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その上に見えるのが、愛宕山です。


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ここから怒涛の下り坂が続きます。


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道が悪くて歩きづらい。

登山のときって、意外と怪我するのは下山のときなんですよね。


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石がゴロゴロして足を挫きそうです。

慎重に下山です。


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山道を下りきったところに、小川が流れています。

水尾川です。


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川辺に石垣が積まれています。


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いつの時代の石垣でしょうね。


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橋を渡ります。

けっこう怖い!


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橋の下にも石垣が。


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さて、ここから明智越えハイキングコースは水尾川沿いに保津峡駅に向かいます。

本能寺を目指した明智軍は、ここからさらに山を越えて嵐山から洛中に向かったのでしょうが、私にはとても無理です。


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といっても、駅までまだ2kmもあるのですが。


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もっとも、ここからの道はこんな感じで、舗装された歩きやすい道を進みます。


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そして、そこから歩くこと30分余り、保津峡駅に到着しました。


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京都から向かって嵯峨嵐山駅の次の駅なんですが、ほとんどの観光客が嵯峨嵐山駅で降りるので、ここは無人駅です。


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ホームから見た保津峡


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この日、JR亀山駅を出発したのが11時40分、保津峡駅に着いたのが15時20分、観光案内所でもらった案内図に書いてあった目安時間3時間30分というのは、ほぼバッチリでしたね。

もっとも、この日歩いたコースは、亀岡城から本能寺までの距離の4分の1ほど。

本能寺の変の際、明智軍が亀山城を出陣したのは午後8時から9時頃だったといわれ、本能寺を包囲したのは、午前4時頃だったといいます。

ということは、7~8時間で行軍したということですね。

それも、武装してですから、スゴイです。

光秀本人は馬上の人だったでしょうが、戦国時代の歩兵というのは、とてつもない健脚だったということですね。


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日本史に詳しくない人でも、誰でも知っている本能寺の変

その歴史を大きく動かした局面に、明智光秀が通った(かもしれない)明智越え

そんな歴史に思いを馳せながら、歩いてみてはいかがでしょうか?




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by sakanoueno-kumo | 2021-01-30 23:01 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2021-02-08 11:59
老婆心ながら。
私もそれなりにこういう所に行くのですが、誰かと一緒ではどうもペースが合わないんですよね。
まあ、主に私が遅れる方なんですが、独りの時は立ち止まりたいところで立ち止まったり、そんなに遅いとも思わないんですが。
なので、山登りは一人に限ると思っていたのですが、先日、地元の大きなゼネコンの社長さんが登山中に心臓麻痺で死んだという話を聞き。
その方は、独りで登っていたわけではないようですが、同行者の中に医者や元救急隊員がいればともかく、それ以外では、救急隊員が上がってくるまでに間に合わないんですよ。
なので、私も、「あんたも年取ってからは気をつけなさいよ」と言われ、以来、少なくとも、人目につかないような山道は一人では行かないようにしています。
貴兄は元来が私のような軟弱者とは違うでしょうが。
Commented by sakanoueno-kumo at 2021-02-08 17:26
> heitarohさん

ご忠告ありがとうございます。
おっしゃるような心配はわたしも感じています。
特に暑い夏なんて、誰もいない山奥で熱中症で倒れたらアウトだなあと。
ただ、これもおっしゃるように、こういうものは一人がいちばんなんですよね。
で、考えた結果、これもまたおっしゃるように、医者や元救急隊員でもいなけりゃ、ただの友人と一緒にいたところで間に合わないんですよね。
だったら、中途半端に救助されて死にぞこないの寝たきりになるより、救助が間に合わないで逝っちゃったほうが家族に迷惑かけないかなぁ、と(笑)。
腐乱するまでには発見されたいですが(笑)。

山城めぐりをはじめて知ったことは、山登りする人は、けっこう高齢者が多いんですよ。
70代の人は普通にいます。
わたしなんて、まだまだヒヨッコですよ。

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