桃太郎伝説の地、鬼ノ城跡を歩く。 その2 <西門>
「その1」のつづきです。
鬼ノ城跡西側の展望デッキから見た復元西門です。
今からあそこに向かいます。
展望デッキから歩いて約5分、城域にやってきました。
写真は復元された角楼の下の土塁と石垣です。
石垣も土塁も古代工法を用いて復元しているそうです。
城壁の土塁は5~6mあります。
西門が見えてきました。
西門です。
1階は通路、2階は城壁上の連絡路、3階は見張りや戦闘の場としての機能を持つ場所だそうです。
屋根は、発掘調査で瓦は出土していないそうで、板葺きに復元されています。
説明板があります。
発掘調査時の航空写真ですね。
鬼ノ城は昭和61年(1986年)に国の史跡に指定され、平成11年(1999年)より発掘調査とともに史跡整備が行われ、その後、この西門が復元されました。
西門は間口3間(12.3m)、中央1間を通路とし、奥行きは2間(8.2m)、12本の柱で上屋を支えています。
横から見た西門です。
横を見ると、板塀と見事な敷石が復元されています。
建物2階部分です。
入ることは出来ません。
説明板によると、柱は一辺最大60cmの角材だそうで、2mほど埋め込んでいるそうです。
石段の下に門扉が見えます。
反対側から見た門扉。
ここにも説明板があります。
発掘調査の際、西門跡は極めて良好な状態で残っていたそうで、12本の柱の位置と太さ、埋め込まれた深さ、各柱間の寸法も正確に知ることができ、また、通路床面の石敷きや石段、敷石もよく残っていたので、城門の規模と構造を具体的に知ることができたそうです。
そこで、これらの資料をもとに、関連の資料を参考にして、3階建ての城門に復元したそうです。
城門を出ました。
土塁に柱が埋め込まれているのがわかります。
本当はもっと引きの写真を撮りたかったのですが、前が狭くてこれ以上下がれません。
2階、3階を見上げます。
将棋の駒型のカラフルな装飾は、盾のイメージでしょうね。
あのエスニックなデザインは、何かモチーフがあるのでしょうか?
古代の百済のデザイン?
説明がないのでわかりません。
「その1」でも紹介したとおり、鬼ノ城の築城時期、築城主については詳しくはわかっていませんが、天智天皇2年(663年)に大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のために出兵した白村江の戦いで、倭国(日本)軍は大敗したのち、唐、新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、西日本各地に防衛のための城を築いたとされます。
太宰府を囲むように築かれた大野城(福岡県太宰府市・大野城市・宇美町)、基肄城(福岡県筑紫野市・佐賀県基山町)、金田城(長崎県対馬市)、屋嶋城(香川県高松市)などがそのときに築かれた城と考えられていますが、ここ鬼ノ城も、そのひとつと考えられています。
このときの築城は、日本に亡命してきた百済人が指揮したと伝わります。
その百済人は、憶礼福留(おくらいふくる)、四比福夫(しひふくふ)といった名前が伝わりますが、この2人の誰がどの城を築いたかまでは伝わっていません。
南に目を移すと、眼下に総社平野が広がります。
古代、現在の岡山県南部は「吉備の穴海」と呼ばれていたほど瀬戸内海が広く湾入していたそうで、たぶん、この平野も鬼ノ城があった時代は海だったんじゃないでしょうか。
城門の南東には復元された土塁の城壁が伸びています。
圧巻ですね。
鬼ノ城の城壁の土塁の高さは5~7mもあり、6m前後の幅で築かれています。
このように大きい城壁を造るために、版築工法と呼ばれる土木技術が用いられたそうです。
版築工法とは、壁となる位置に柱で押さえたせき板を置き、内部に土を入れて一層ごとにつき固める工法だそうです。
1400年近く前に、そんな高度な技術が用いられていたんですね。
古代工法で復元した土塁の一部が崩れる恐れがあるので、これ以上近づけません。
城壁の一部には、高石垣も復元されています。
下まで降りてきました。
圧巻の城壁です。
城壁の説明板があります。
ここから、もう一度城壁の上に上がってみましょう。
ここから見た城壁と西門も見事ですね。
城壁の上には板塀がめぐっています。
その板塀の内側には、見事な敷石が。
その敷石の説明板です。
鬼ノ城では、城壁の下の面に接して板石が敷き詰められていて、幅は基本的に1.5m幅だそうですが、広いところでは5m幅にもなるところもあるそうです。
この石畳のような敷石は、通路としての役割もあるものの、その傾斜などからみるに、もともとは雨水等から城壁を守るために敷かれたものと考えられるそうです。
敷石は、日本の古代山城では鬼ノ城にしかなく、朝鮮半島でも数例しか見られない稀有なものだそうです。
西門だけで、めっちゃ長くなっちゃいました。
最後にもう一度、西門にズーム。
「その3」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2021-04-17 00:02 | 岡山の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)