桃太郎伝説の地、鬼ノ城跡を歩く。 その6 <屏風折れ石垣>
「その5」のつづきです。
鬼ノ城跡いちばんの見どころ、屏風折れ石垣にやってきました。

見事な高石垣が見えます。

ここまで歩いて見てきたコースでも、平野を見下ろす城壁の張り出し部には決まって高石垣が築かれていましたが、ここは特に、高石垣が折れと直線を描きながら尾根に従って大きく張り出しています。

ここで鬼ノ城の城壁一周コースのちょうど半分ぐらい。
歩きはじめて約1時間半絶っていますが、これを見られただけでも、ここまで歩いてきてよかった。

これが造られたのが、約1400年近く前というから驚きです。

屏風折れ石垣の上にやってきました。

石垣の上は広い削平地になっています。
おそらく、ここは物見台のようなものがある曲輪だったのでしょう。

曲輪の上には、石が散乱しています。
これも、何かの跡でしょうか?

曲輪の先端から、逆に屏風折れ石垣を覗き込みます。
高所恐怖症なので、これ以上乗り出すのは無理。

屏風折れ石垣上から南東を見下ろすと、総社平野が広がります。

こちらは北東の眺望。
吉備高原方面です。

曲輪の高台の上に、石碑と看板が見えます。

看板です。

温羅(うら)と呼ばれる朝鮮から渡来した一族の居城とありますね。
前稿でも紹介しましたが、温羅とは、桃太郎伝説の鬼のモデルとなった人物で、古代吉備地方の統治者であったとされます。
「鬼神」「吉備冠者(きびのかじゃ)」という異称があり、伝承によると、大和朝廷より派遣された吉備津彦命(きびつひこのみこと)によって退治されたといわれ、これが、桃太郎伝説のモチーフになったと言われています。
もっとも、この伝承は後世の室町時代に成立したものと見られ、裏付ける史料はありません。

こちらは屏風折れ石垣の説明看板。
さっきの曲輪上に散乱していた石は、内側列石や敷石の遺構だったんですね。

その背後にある石碑です。

逆光で文字が読めませんが、「岡山懸十五景地」と書かれています。

石碑の裏側です。
「昭和十二年四月建立鬼之城保勝會」と刻まれています。

石碑の建つ高台から、屏風折れ石垣の曲輪を見下ろします。
舌状に張り出した広い曲輪ということがわかります。

さて、やっと鬼ノ城城壁を半周しました。
「その7」では北側に向かいましょう。
最後にパンフの案内図を載せます。

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by sakanoueno-kumo | 2021-04-28 23:30 | 岡山の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)