信長の隠れ岩
朽木西山城の西麓に、「信長の隠れ岩」と呼ばれる大きな岩があります。
あの織田信長の「金ヶ崎の退き口」の「朽木越え」の際に、一時身を潜めたという伝承がある岩です。

信長の隠れ岩のある場所へは、国道367号線沿いに登り口があります。

登り口にある説明版です。

元亀元年(1570年)、織田信長が越前の朝倉氏を攻めた際、北近江の小谷城主・浅井長政が突如信長に反旗を翻し、敦賀の金ヶ崎城にいた信長は退路が危うくなります。
信長の妹で長政の妻だったお市が、袋の両端を縛った「小豆の袋」を陣中見舞いに送り、その危機を報せたという逸話で知られる、あの戦いです。
越前と北近江からの挟撃を受ける窮地に陥った信長は、すぐさま撤退を決意し、その退路として選んだのが、湖西の朽木街道を南下して京に向かうルートでした。
後世に言う「朽木越え」です。
このとき信長を助けたのが、朽木城主だった朽木元綱でした。
元綱は松永秀久の説得に応じて領内の通過を認め、さらに、朽木街道を案内して京へと信長を逃しました。
この功を買われた元綱は、のちに信長に仕えるようになります。

ちょっとした登山です。

見下ろすと、北川が流れます。

こんな感じの急登が続きます。

登り始めて約5分。
大きな岩場が見えてきました。

岩と岩の間に、何か立札が見えます。

どうやら、ここが信長の隠れ岩のようです。

立札には、「朽木三ツ石 信長の隠れ岩 入口」と書かれています。

金網がかけられています。

信長は小柄だったといいますが、こんな狭いところに隠れるのはけっこう大変です。

登り口の説明板によると、信長が朽木街道を通ることを知った元綱は、甲冑姿で出迎えようとしたそうですが、この武装姿に驚いた信長は、同行の松永久秀と森可成に元網の真意を確かめに行かせ、そして元網に敵意がないことを確認できるまで、この石の岩窟に身を潜めて待機したと伝えられるそうです。

こういう伝説は、本当かどうかなんて疑うのはナンセンスです。
信長が朽木街道を通ったのは史実で、それを元綱が助けたというのも史実です。
であれば、もしかしたらここに隠れていたのかもしれない・・・というロマンをもって伝承を鷹揚に楽しみましょう。

京に逃げ帰った信長の供回りは、わずか10人程度だったといいます。
もし、このとき元綱が浅井、朝倉方に与していたら、信長の命はそこで終わっていたかもしれません。
そうすると、のちの歴史はずいぶん変わっていたかもしれませんね。
その意味では、この隠れ岩は歴史を左右する場所だったといえるかもしれません。
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by sakanoueno-kumo | 2021-06-12 11:45 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)