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北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。 その4 <桜馬場跡>

「その3」のつづきです。

赤尾屋敷から大手筋に戻って、御馬屋跡の上にある桜馬場跡やってきました。


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かなり広い曲輪です。


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説明書きの駒札復元絵図です。


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そして、桜馬場跡には浅井家及び家臣供養の五輪塔が建てられています。


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浅井長政織田信長反旗を翻した理由について、浅井氏が朝倉氏に旧恩を感じていたからといわれることが多いですが、この時代の価値観からして、旧恩に固執して家を滅亡の危機に晒すとは考えにくいでしょう。

長政は、信長に勝つ見込みがあったのでしょうね。

実際、長政が反旗を翻したことで、信長は命からがら越前から逃げ帰っているし、その後も、信長包囲網の一角として、信長を大いに苦しめています。

歴史の歯車がひとつ狂えば、長政が反信長勢力を集結して信長を倒し、日本の歴史を大きく変えていたかもしれません。


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ちなみに、浅井久政、長政父子の朝倉義景の首とともに岐阜に持ち帰られ、信長によって髑髏が薄濃にされたという話は有名ですね。

ただ、このとき信長がその髑髏を盃にして酒を飲んだという逸話は、後世の作り話のようです。


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こちらは、五輪塔の背後に建つ大きな顕彰碑です。


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東西に細長い2つの曲輪が2段構成になっています。

何かの写真パネルがあります。


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平成23年(2011年)の大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』の撮影がここで行われたようですね。

第1話の長政とお市が小谷城から琵琶湖を眺める場面だそうです。

たしかに、そんなシーンがありました。

本当の城跡から眺めていたんですね。


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おお!

お市役の鈴木保奈美さんが写っています。

車で登ってこれるのは、前稿で紹介した番所跡までですから、そこからここまで和装で歩いて登ってきたのでしょうか?

それとも、スタッフさんが駕籠でも担いだとか?(笑)

スタッフさん、半袖ですから、撮影は夏場だったのでしょう。

たいへんだったでしょうね。


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こちらの写真パネルは、第8話のお市と三姉妹が北陸への道中で小谷城に赴く場面だそうです。


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1段下の曲輪に降ります。


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その西の端からは、南側の琵琶湖が一望できます。

上述した長政とお市がドラマで眺めた景色ですね。


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景色の説明板も設置されています。


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小谷城の支城、山本山城が見えます。


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田園が広がるこの景色は、おそらく450年前もいまも、それほど変わらないでしょうね。

「その5」につづきます。




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by sakanoueno-kumo | 2021-06-23 21:50 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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