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北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。 その5 <黒金御門跡~大広間跡~本丸跡>

「その4」のつづきです。

桜馬場跡のすぐ上に、立派な石段が残る虎口跡があります。


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ここは黒金門と呼ばれる虎口があった場所で、ここが、小谷城主郭部への入口でした。


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駒札の説明書によると、その名のとおり、鉄を打ち付けた門扉があったようです。

それだけ重要な門だったということでしょう。


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虎口の横に目をやると、大きな石積みの痕跡が残っています。


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その上には、「黒金門址」と刻まれた石碑が。


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虎口を進みましょう。


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石段を上ると、小谷城で最も広い削平地が現れます。

ここは「大広間」と呼ばれる曲輪で、本丸下段といえる曲輪です。


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かなり広いです。


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説明書きの駒札です。

大広間は別名「千畳敷」と呼ばれ、長さ約85m、幅約35mあるそうです。

ってことは、約3000㎡

たしかに、千畳敷ですね。


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こちらは復元絵図

右側の御殿が建ち並んでいる広い面積の場所が、大広間です。

その左側の高くなっている場所が本丸、別名「鐘丸」ともいいます。

この大広間と本丸がセットで小谷城の主郭に相当する場所だったようですが、小谷城が特徴的なのは、絵図の左側の大堀切のさらに奥に、本丸より高い上段の曲輪群が連なっていて、奥の主郭ともいえる京極丸、小丸、山王丸まで続いています。

浅井氏の当主が居住していたと推定されているのが、ここ本丸と大広間です。


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この広い大広間には、かつて御殿が建ち並び、落城直前には、当主の浅井長政や妻のお市の方、その娘たちのお茶々、お初、お江がここで生活していたと考えられています。


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大広間の北東隅には、往時を偲ばせる井戸跡があります。

約3.3m×2.7m、深さ約0.9mあります。


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井戸の周りには、かつての石積みの痕跡と見られる石が散乱しています。


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大広間の北側には、高さ約4mの石垣が残っています。


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この石垣の上が本丸(鐘丸)です。


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見事な石垣ですね。


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野面積みの石垣ですね。


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本丸(鐘丸)の説明書きの駒札です。


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本丸(鐘丸)に登ってみましょう。


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本丸(鐘丸)です。


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南北約40m、東西約25mの広さだそうです。


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さらにその本丸も上下二段構成になっています。

駒札の奥の部分が一段高くなっているのがわかるでしょうか。


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駒札です。

江戸時代中期の小谷城絵図に「天守共 鐘丸共」と記されているそうです。


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ここには天守といえる建物があったと伝わり、彦根城西の丸にある三重櫓は、ここ小谷城の天守を移転したものという伝承があります。


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本丸から下の大広間跡を見下ろします。


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他の登山客がやってきました。

人との対比で、その広さが伝わりますでしょうか?


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本丸北側を見下ろすと、大きな堀切跡があります。

行ってみましょう。

「その6」につづきます。




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by sakanoueno-kumo | 2021-06-24 23:58 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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