青天を衝け 第20話「篤太夫、青天の霹靂」その2 ~慶喜の徳川宗家相続と幕臣となった栄一~
「その1」のつづきです。
将軍・徳川家茂が死去すると、その後継者は、誰が見ても徳川慶喜以外に適当な人物はいませんでした。家茂は死に際して田安亀之助(家茂の従兄弟)を後継者とする遺言を残したといわれますが、このとき亀之助はわずか4歳、国事多難な情勢のなか、幼君では舵取りが困難との理由で多くの大名らが反対したのは当然だったでしょう。老中・板倉勝静、永井尚志、小笠原長行、稲葉正邦、前福井藩主・松平春嶽、京都守護職・松平容保、所司代・松平定敬らが、こぞって慶喜を推します。
ところが当の慶喜は、当初、これを頑なに拒否。紀州藩主の徳川茂承を将軍に推し、自身は将軍職の補佐なら引き受けると主張しました。それでも、板倉や永井が粘り強く説得し、やっと7月27日になって徳川宗家の相続は承知したものの、将軍就任は容易に受けようとはしませんでした。この態度は、困難な政局を前にして、多くの人々の推薦を得てから将軍職に就き、恩を売ったかたちで将軍になることで政治を有利に進めていく狙いがあったのでは・・・との見方がありますが、その真意は定かではありません。いわば、幕府=沈みかけの船の船頭となるのを拒んでいただけかもしれません。支持率を落とした政権与党の党首になるようなものですからね。慶喜は後年の回想録で、このときの気持ちを次のように語っています。
「遂に板倉・永井を召し、徳川家を相続するのみにて、将軍職を受けずとも済むことならば足下等の請に従わんといいしに、それにてもよしとの事なりしかば、遂に宗家を相続することとなれり。されども一旦相続するや、老中等はまた将軍職をも受けらるべしと強請せるのみならず、外国との関係などもありて、結局これをも諾せざるを得ざるに至れり。かかる次第にて、予が政権奉還の志を有せしは実にこの頃よりの事にて、東照公(家康公)は日本国のために幕府を開きて将軍職に就かれたるが、予は日本国のために幕府を葬るの任に当るべしと覚悟を定めたるなり。」と。
慶喜がすでにこの頃から大政奉還の志を持っていたという述懐は眉唾ものですが、英明な慶喜のことですから、この局面での将軍職就任が、いかに「貧乏くじ」であることは、直感的に感じていたのかもしれませんね。最終的には、孝明天皇の強い希望で慶喜に将軍宣下がなされ、家茂の死から4ヶ月後の慶応2年12月5日(1867年1月10日)に第15代将軍の座に就くこととなるのですが、将軍が4ヶ月以上にわたって存在しないという「将軍空位期」という異常な事態が生まれてしまいました。
ドラマの慶喜は、それほど相続を拒むこと無く運命を受け入れるといった感じでしたね。今回はまだ将軍職には就任していませんでしたが、宗家のみの相続で将軍職には就かないといった駄々をこねるシーンも描かれず・・・。何か脚本の意図があるのでしょうか?
また、慶喜に次期将軍の白羽の矢が立っていることを知った渋沢栄一が、慶喜に対して将軍職を継ぐべきではないと諫言するシーンがありましたが、栄一の自伝『雨夜譚』によると、実際には栄一の意見を直に聞いたのは慶喜の側近の原市之進で、市之進は栄一の進言をもっともだと共感し、栄一が直接慶喜に進言する日取りまでセッティングしてくれたようですが、慶喜は栄一に面会する前に板倉や永井と面会し、宗家の相続を引き受けてしまったそうです。まあ、もっとも、事前に慶喜が栄一の意見を聞いたところで、歴史は変わらなかったでしょうけどね。
慶喜が徳川宗家を継いだことで、渋沢篤太夫(栄一)、渋沢成一郎(喜作)ともに幕臣となりました。その栄一が新選組と共に大沢源次郎という国事犯を検挙したという話は史実です。大沢は幕臣でしたが、密かに薩摩藩と通じ、倒幕を企んでいるという疑いでした。栄一の自伝『雨夜譚』によると、大沢はなかなか腕の立つ男で、その上仲間も多いという情報があり、栄一の同僚たちは、皆、そんな物騒な役目を引き受けたがらず、貧乏くじを栄一に押し付けてきたといいます。ところが、栄一はこの当時、かつての攘夷志士が不本意にも幕臣となってしまった身の上に不満を覚えていたようで、半ばヤケクソにこの任務を引き受けたようです。栄一はさっそく新選組局長の近藤勇と京都町奉行宅で打ち合わせをし、新選組隊士6、7人に護衛されて大沢宅に向かいました。栄一の息子・渋沢秀雄の著書『父 渋沢栄一』によると、その中に副長の土方歳三がいたといいます。新選組隊士が先に踏み込んで大沢を逮捕すると提案したのに対し、それでは自分の役目が立たないとして、先に自分が踏み込んで奉行の命を伝えてから、新選組が入ってくるよう促したという話も自伝のとおりです。もっとも、大沢は就寝中で、踏みこむと大沢は寝間着姿で眠そうな目をこすりながら出てきて、抵抗することなく神妙にお縄についたようです。ドラマのような乱闘にはならなかったようですね。まあ、新選組も出てきたことだし、ちょっとチャンバラシーンを描きたかったのでしょう。
栄一の息子・渋沢秀雄の著書『父 渋沢栄一』によると、「思い出」と題して、晩年の栄一が、このときのことを述懐しながら、「土方歳三とはいろいろ折衝したが、彼は強いばかりの侍ではなく、なかなか思慮のある人物だった。ワシが正使、副使の理屈などを並べたあげく、独りで座敷に踏み込んでいったので、土方はワシに君はもともと武家の出かとたずねた。そこで、いや百姓だと答えたところが、彼はひどく感心してね。とかく理論の立つ人は勇気がなく、勇気のある人は理論を無視しがちだが、君は若いのに両方いけると褒めてくれたっけ」と語っていたそうです。今回のドラマの栄一と土方の会話は、この思い出話をベースにしたものでしょうね。
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by sakanoueno-kumo | 2021-06-29 23:24 | 青天を衝け | Trackback | Comments(2)
詳しくない視聴者は?????だったのではないでしょうか?私も師匠の詳しい説明で理解できましたが、ちょっと省きすぎ?
薩長同盟もぼやーんとしてて、坂本龍馬くらいは出して欲しいです(福山君特別出演でまた視聴率稼ぐとか)
長州軍の近代武装と幕府軍の甲冑武装の違いを描いてこそテレビの値打ちがあろうものでは!
土方の俳優さんどんぴしゃですね!これからの展開が期待ドキドキなラストでした!
パリ万博の会場で薩摩の陳列前でオディーン様と対決!なんて場面、史実にないかもですが描いて欲しいです。
それにしても草彅将軍の歩き方がなんかsmap時代を彷彿とさせるのは私だけでしょうか?
慶喜だけが主人公の物語であれば、第二次長州征伐ももっと詳しく描けたのでしょうが、栄一と慶喜の物語を並行して描いている本作品ですから、栄一がほとんど関わっていない第二次長州征伐が省略されるのはやむを得ないでしょうね。
薩長同盟に至っては、栄一にも慶喜にも直接関係ないですから、私はナレーション程度でいいと思います。
坂本龍馬もこの物語にはまったく無関係ですし。
幕末史に詳しくない人は少し難しいかもしれませんが、私は、本作品は下手な作り話を盛り込まず、史実を丁寧に描いているので、たいへん満足しています。
オディーン様、お気に入りですね(笑)。
ただ、五代友厚よりももっと栄一と深く関わることとなる岩崎弥太郎の配役がまだ発表されていないのが気になります。
オディーン様のサプライズキャストのように、あるいは香川照之のサプライズキャストがあるかもしれません。
>草彅将軍の歩き方がなんかsmap時代を彷彿とさせる
スミマセン。
それ、私にはわからないです(苦笑)。