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青天を衝け 第28話「篤太夫と八百万の神」 ~大隈重信との出会い~

 渋沢栄一が作った日本初の株式会社「商法会所」は、明治2年(1869年)5月、「常平倉」と改名しました。その理由は、藩の出資した金で商業を営むことは政府の主意に反するから、営業の実態はともかく、名称を変えろという藩庁からのお達しによるものでした。


青天を衝け 第28話「篤太夫と八百万の神」 ~大隈重信との出会い~_e0158128_15030167.jpgその常平倉もようやく軌道に乗りかけた明治2年(1869年)11月、東京の太政官から栄一に呼び出し状が届きます。しかし、栄一は新政府へ出仕する気にはなれず、常平倉の仕事を途中で投げ出したくもなかったので、静岡藩中老の大久保一翁に、半月ほどの猶予がほしいと願い出ました。しかし、ドラマの様に一翁に説得されます。いわく、「もしこれを断ったら、それこそ静岡藩は朝旨に背いて有用な人材を隠蔽し、何か陰謀を企てているとの疑いをかけられかねない。そうなると前様(徳川慶喜)にご迷惑がかかるから、ともかく朝命に従ってくれ」とのこと。慶喜の名を出されると、栄一としても引き下がらずをえず、やむなく東京に向かう決心をしました。


 12月初旬、東京へ出て太政官へ出頭した栄一は、思いもよらぬ「大蔵省租税正」を任命されます。当時の大蔵省はその後の世の同省よりも所管事項が広く、民部省を兼ねた大型官庁で、「正」はその長官。つまり、栄一の命じられた職務は、国の中核を担う省庁の長官という重責でした。しかし、当時、大蔵省には栄一の知り合いは一人もおらず、また、その職務についても把握できていなかったので、なぜ自分が推挙されたかわからなかったようです。当時の大蔵卿は前伊予宇和島藩主の伊達宗城で、大輔は大隈重信、少輔は伊藤博文でしたが、省内の実務は大隈と伊藤の管掌するところで、事実上のトップは大隈でした。そこで栄一は、12月中旬に大隈を訪ね、仕官を断ります。その理由は、税務についての知識がないこと、静岡に創設したばかりの事業があること、それに、旧主・徳川慶喜から受けた恩誼を思うと、新政府に使える気にはなれないというものでした。ところが、大隈はこの頃から一代の論客でした。栄一の回顧談を読むと、


 青天を衝け 第28話「篤太夫と八百万の神」 ~大隈重信との出会い~_e0158128_22072386.jpg大隈伯は黙つて吾輩の言ふ事を暫く聞いて居たが、吾輩の言葉が終ると同時に突然八百万の神達、神計りに計りたまへ、と言ふ文句を知つて居るかと言はれた。吾輩は其質問の余り突飛なのに驚いたが、それは祝詞の文句で知つて居ると答へて、伯が如何いふ事を言ひ出すかと待つて居た。すると、伯は膝を進めて、今の日本は幕府を仆して王政に復したのである、併し、其丈では吾等の任務は未だ全ふしたとは言へない。更に進んで新しい日本を建設するのが吾々の任務である。だから、今の新政府の計画に参与して居るものは即ち八百万の神達である。其の神達が寄り集まつてこれから如何いふ工合にして新しい日本を建設しやうかと相談の最中なのである、何から手を着けて宜いか分らないのは君ばかりではない、皆分らないのである、これから相談するのである、今の所は広く野に賢才を求めて、之を登用するのが何よりの急務である、君もその賢才の一人として採用されたのだ、即ち八百万の神達の一柱である


 大隈が八百万の神に例えて栄一を説得した話は実話のようですね。うまいこと言ったものです。大隈の説得について、栄一の息子・渋沢秀雄の著書にある現代語訳がわかりやすいので、紹介します。


「キミは租税のことを何も知らんというが、その点は我輩も同じである。いや、今の新政府に働く者で、役所の仕事に知識や経験を持っている人物は一人もおらん。すべて前例や手本はないのである。キミがまだ始めたばかりの事業を続けたいという気持ちはよくわかるが、我輩に言わせれば、失礼ながら目のつけどころが小さすぎる。現在の日本はそんなことに拘泥している場合ではない。少しでも働きのある者は、みな気を揃えて新規に国を建て直さねばならないときだ。例えてみれば、八百万の神が高天原へ神つどいに集まって、国を生んでいるようなありさまである。だから、キミも八百万の神の一柱となって、新しい国の建設に一肌脱いでくれたまえ」


 大隈、雄弁ですね。気根と弁説にかけては負けていない栄一でしたが、このときは大隈の方が一枚上手で、説き伏せられてしまいました。大隈31歳、栄一29歳。すごいアラサーたちです。


 ちなみに、これを機に栄一は名前を「篤太夫」から「栄一」に戻したとありましたが、正確には、まず「篤太郎」に改め、のちに栄一に改名しています。理由は、新政府からのお達しで、「太夫」とか「衛門」といった官職に属する名が禁じられたからでした。一方で、「太政官」とか「参議」といった古い名称を新政府は使っている。大隈のいう八百万の神たちが国づくりに迷走していた様子がわかりますね。



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by sakanoueno-kumo | 2021-09-28 22:09 | 青天を衝け | Trackback | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2021-10-04 11:55
大久保利通は予想通りの単なる悪役でしたね(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2021-10-04 19:35
> heitarohさん

ですねぇ(笑)。
大久保と渋沢は反りが合わなかったみたいですから、まあ、政敵のように描かれるのは仕方がないでしょうが、大隈や伊藤は大久保のことをリスペクトしていたわけで・・・。
冷徹な人物として描かれるのはいいんですが、大久保というと、どうしても陰険で狭量な人物に描かれることが多いですね。

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