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青天を衝け 第29話「栄一、改正する」 ~改正掛による改革~

 明治2年(1869年)12月、大蔵省勤務となった渋沢栄一は、仕官後間もなく、省務に秩序も企画性もなくシステムが整っていないことに落胆し、大蔵大輔の大隈重信に提案して省内に「改正掛」という局を新設してもらいます。局の役目は、一切の事務を調査研究して、旧制の改革をすべてこの局を通して実施するという組織でした。改正掛の役員の多くは兼任で、租税正の栄一は改正掛長を兼務することになります。


青天を衝け 第29話「栄一、改正する」 ~改正掛による改革~_e0158128_22414494.jpg 翌明治3年(1870年)春には、静岡藩から前島密、赤松則良、杉浦譲(愛蔵)、塩田三郎らが改正掛に登用されました。彼らが最初に着手したのは全国測量で、その必要から度量衡(計測の単位)の改正案を作りました。また、租税制度の改正と駅伝法の改正も急務として、その調査に力を入れました。特に租税の問題は租税正の栄一の専門だったため、物納より金納への改正を目指して調査を進めました。また、駅逓制の改正は前島が担当し、改正掛にて郵便制度の創設の方針を立てましたが、しかし、同年6月に前島が渡英することとなり、担当は杉浦譲に引き継がれ、翌年4月に東京~京都~大阪間に現行の制度の礎となる郵便制度が確立されました。ドラマ中、岩倉具視「政府たるものが、飛脚家の商いを横取りするとは」と言っていましたが、たしかにそうですね。改革というのは、古い何かを捨て去るということ。当然、捨て去られる方はたまったもんじゃなかったでしょう。130年以上先の平成の時代にまた民営化されたときも、やはり抵抗勢力はいましたしね。


ちなみに、「郵便」という言葉を考案したのは、ドラマのとおり前島密だったようです。1円切手の人ですね。


青天を衝け 第29話「栄一、改正する」 ~改正掛による改革~_e0158128_22414482.jpg 改正掛長として次から次へと改革案を推し進める栄一でしたが、そうなると当然、そんな栄一を気に入らない者たちが出てきます。大隈重信の回顧談によると、彼らはほとんどストライキを起こさんばかりに大隈のもとを訪れ、ドラマのように、百姓上がりの旧幕臣を自分たちの上に抜擢するとは何事だと詰め寄ったそうです。なかでも最も猛烈に栄一を嫌ったのが旧岩国藩士の玉乃世履だったそうで、玉乃は、栄一の下では働けないと激怒したそうです。ところが、月日が経つにつれて皆、栄一の能力がわかり、半年も経つと不満を言う者はいなくなったようで、ある日、最も栄一を嫌っていた玉乃が大隈のもとに謝罪に来たそうです。玉乃曰く、「渋沢くんはとても我々の及ぶところではない、誠に得難き人である。先に無礼なことを言ったのは我々の思違ひであって、実に相済まぬ」と。これもドラマのとおりですね。その玉乃が語った栄一評があります。


 「此節静岡ヨリ渋沢生ヲ民部租税正に擢用セリ。此ハ一橋秘蔵ノ臣ニテ百姓ヨリ抜キ、民部公子ニ従ヒ仏ニ在リシモノニテ、最ノ人才ナリ。日々討論面白キ事也。民部局中ニテ開成局ヲ開キタリ。世履開成ノ字ヲ改正ニ改メタリ。深意也・々。渋沢ハ元ト漢学有志ノ党ニテ、勤王家ナリシガ、一変シテ今日ノ学ニ至ル。持論公明正大、旧幕ノ俗習ナシ。勝房州ノ流ナルベシト察シタリ。」


 べた褒めですね。それだけ栄一に才覚人間的魅力があったからでしょうが、最初は嫌っておきながら、栄一の能力を知るや否や、自身の考え違いを認めて謝罪にくるあたり、玉乃世履という人の生真面目な人間性がわかりますね。ちなみに、たぶん、ドラマでは描かれないだろうからネタバレしちゃうと、のちに玉乃は大審院長(現在の最高裁判所長官)となり、清廉潔白な精神での公正な裁きから「明治の大岡」と賞賛されますが、明治19年(1886年)、その在職中に自殺します。うつ病だったとか。生真面目な玉乃にとって、人を裁く職務は想像以上のストレスだったのかもしれませんね。


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by sakanoueno-kumo | 2021-10-04 22:44 | 青天を衝け | Trackback | Comments(2)

 

Commented by 60代の歴史好きなおじさん。 at 2021-10-11 09:34
今回の大河を見なければ渋沢氏の才能について知ることもなかったでしょう。またブログ主様の玉野氏の話感動しました。いつも貴重な話ありがとうございます。今後とも御発信宜しくお願いします。
Commented by sakanoueno-kumo at 2021-10-11 11:57
> 60代の歴史好きなおじさん。さん

わたしも渋沢栄一という人については、「日本資本主義の父」と呼ばれた経済界の巨人というぐらいの知識しかなく、ドラマ放送前に何冊か本をかじり読みしたにわか知識ばかりです。
玉乃が思い違いを認めて謝罪に来た話や玉乃の栄一評も、栄一の息子の渋沢秀雄の著書に大隈重信の回顧談が詳しく書かれていて、そこで紹介されていた話です。
この渋沢秀雄さんは千代の子ではなく、後妻さんとの間に生まれた四男で、昭和59年(1984年)まで長寿された方です。
なので、とても分かりやすく、実の息子さんなので若干身内贔屓の見方があるにせよ、父親から直に聞いた話をひじょうに客観的に書かれています。
今年のわたしのブログの解説は、この本に頼るところ大です。

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