青天を衝け 第34話「栄一と伝説の商人」 ~東京商法会議所が設立と岩崎弥太郎~
明治11年(1878年)3月、渋沢栄一、益田孝、福地源一郎、大倉喜八郎らによって東京商法会議所が設立され、栄一がその初代会頭となりました。今では日本各地にある商工会議所のさきがけですね。栄一の回顧談によると、設立までの経緯はドラマで描かれていたとおりでした。
当時、日本は徳川幕府時代に結んだ不平等条約(安政五カ国条約)のため、諸外国と対等な立場での交渉が出来ない状態にありました。この条約改正は明治政府の最重要課題で、明治4年(1871年)から明治6年(1873年)にかけての岩倉使節団の最大の目的は、その条約改正でした。しかし、交渉はうまくいかず、その後も断続的に改正交渉は行われてきましたが、進展は芳しくありませんでした。明治10年(1877年)、内務卿の伊藤博文と大蔵卿の大隈重信らが条約改正の交渉に臨み、英公使ハリー・パークスに対して「世論が許さないから改正をしたい」と言ったところ、「日本に世論などあるのか。国会も選挙も会議所もない日本で、どうやって世論を聞くのか!」と反駁されてしまいます。そこで伊藤らは欧米の商工会議所制度などを調べ、世論を作る機関として商法会議所が必要との結論に至り、栄一ら協力を依頼します。栄一はこれを快諾しました。
明治11年(1878年)8月1日に初の集会が開かれ、栄一が会頭に選ばれました。そして副会頭に福地源一郎と益田孝、内国商業事務委員に栄一と益田に加えて三野村利助、渋沢喜作が選ばれ、外国貿易事務委員には益田と大倉喜八郎、岸田吟香らが、そして、運輸及船舶事務委員には、のちに栄一の天敵となる岩崎弥太郎が選出されました。
その岩崎弥太郎と栄一が会ったのは、同じ年の8月のとある日、弥太郎からの招待によるものでした。この日、栄一は柳橋の花街で遊んでいると、岩崎の使いの者が訪れ、「向島の柏屋に舟遊びの用意をしてお待ち申していますので、ぜひお出でください」とのこと。そこで栄一が訪ねると、弥太郎は大いに歓迎し、主客は栄一と弥太郎の二人だけなのに、芸者が14、5人という大掛かりな歓待だったそうです。ドラマのとおりですね。栄一39歳、弥太郎45歳。ドラマの二人はどう見ても6歳差には見えませんでしたが(笑)。二人はしばらく場を楽しんだあと、やがて事業の話になりました。
最初に切り出したのは弥太郎。「これからの実業はどうしていくべきだろうか?」と問うと、栄一は一も二もなく持論の「合本法」を熱心に説きました。事業は国利民福を目指すものであり、大衆の資金を集めてうまく運営し、利益を共有しなければならないとする説ですね。ところが、弥太郎は「合本法などうまくいかない!」とこれを否定。合本法は船頭が多すぎてまとまらない。事業は才腕のある人物が専制的に経営しない限りうまくいかない、という持論でした。これに対して栄一は、才腕のある人物に経営を任せるのは当然だが、その経営者がいつまでも事業や利益を独占するのは間違っていると突っぱねます。しかし、弥太郎はそれは理想論に過ぎないといい、あくまでも専制的な独占論を主張したあげく、栄一に対して、「キミとボクが手を握って仕事をすれば、日本の実業界は二人の思う通りになる。そこを見込んで今日はキミに来てもらった。一緒にやろうじゃないか」と呼び掛けてきました。栄一は弥太郎とは根本的な考え方が真逆なことを理由にこれを拒否し、それでも自説で栄一をねじ伏せようとする弥太郎と猛烈な論争になりました。座がシラケ渡ったのは言うまでもありません。と、栄一は突然席を立って、そこに居合わせた馴染みの芸者に目配せをすると、そのまま一緒に帰ってしまいます。ドラマでは、その役は芸者ではなく死んだ平岡円四郎の妻・やすでしたね。ここはちょっとフィクションでしたが、栄一が激論の途中でドロンしたのは実話です。残された弥太郎が激怒したのは言うまでもありませんね。以後、弥太郎と栄一との間には、長い反目がつづくことになります。
栄一が設立した養育院の話も少し出てきましたね。栄一は35歳のときに身寄りのない子どもや老人を養うための施設である東京市養育院を設立し、92歳の天寿をまっとうするまで、50年以上にわたりここの院長を務めました。当然、養育院は営利目的の事業ではありません。栄一が一生涯で関係した営利事業の数は約500件あるそうですが、社会事業、教育事業、宗教問題、国際関係、労働問題等の非営利的な件数は約600件にのぼるそうです。営利事業よりこっちの方が実は多いんですね。しかも、そのほとんどが単なる関係者ではなく、生みの親、育ての親といった役目を尽くしているそうです。このことからも、栄一が言う、「事業は自身の儲けのためではなく、国を富ませるためのもの」という自説が、決してたてまえ論ではなかったということがわかりますね。弥太郎には悪いですが、経営者としての才腕は互角でも、人物としての器は、勝負にならなかったといえそうです。岩崎家ならびに三菱関係者の方々には申し訳ありませんが。
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by sakanoueno-kumo | 2021-11-08 20:03 | 青天を衝け | Trackback | Comments(6)
今の日本の政府に渋沢の10分の1の才覚でもある人物がいたら・・・・いない皆無!!
「打ち出の小槌はない!」と劇中でも言っていましたが10万円5万円とどこから2兆円も出てくるのでしょう?次の日本を生きる子供たちが可愛そうです。
>渋沢みたいな人物も、また岩崎みたいな人物も必要だった
まあ、そうかもしれませんが、渋沢と岩崎では出発点が違うんですよね。
岩崎は幕末、坂本龍馬の海援隊が土佐藩預かりとなった際、その会計係を藩から命じられ、龍馬横死後はその残務整理を藩から命じられ、維新後、その事業と資産は岩崎に引き継がれ、九十九商会から三菱商会へとつながります。
もともとの元手が棚ぼたで手に入ったものでした。
加えて、のちに岩崎は、明治政府が信用のなくなった藩札をすべて買い上げるという後藤象二郎からのインサイダー情報によって、10万両で藩札を安く買い漁ってボロ儲けします。
そうして得た資本を元手に、台湾出兵、西南戦争を食い物にして巨万の富を得ました。
言ってみれば、すべて漁夫の利で得た財産といえます。
本当に三菱の基盤を築いたのは、弥太郎の死後に跡を継いだ弟の弥之助という人もたくさんいますしね。
その点、栄一は棚ぼたの元手もなければ漁夫の利もない、官僚時代の給料の貯金はあったでしょうが、弥太郎とはくらべものにはならなかったでしょう。
裸一貫からのスタートでした。
だから、「合本」だったのでしょう。
最初の立脚点が違うんですよね。
>10万円5万円とどこから2兆円も出てくるのでしょう?
まったくですね。
これも、民主主義の弊害といえるでしょうね。
民意の届かない栄一らの生きていた時代は、国家予算の大半を軍事費が占めて福祉などはまったくない時代でした。
しかし、民主主義の今は、選挙に勝つために有権者に耳当たりのいい公約ばかり述べて、財源を無視して有権者に媚びを売る。
結果、前者も後者も、国民が重税に苦しむ結果を招くという点では同じです。
どっちがいいんでしょうね。
少なくとも明治初期の指導者たちは、大久保も大隈も伊藤も、そして栄一も、それぞれ考え方は違えど、自分たちが国を作っているという自負心は高く持っていたと思います。
今の政治家や官僚たちは、その意識は皆無でしょうね。
自分かいかにして選挙に勝つか、そして懐を肥やすか、それしかないでしょう。
残念ながら、これが民主主義、資本主義の成熟した姿です。
栄一に限らず、明治初期の指導者たちは、官も民も皆、新しい国を自分たちで作っているという自負があったでしょうから、今の日本を見たら失望するでしょうね。
大国にはなったものの、高い理想を抱いている人は少なく・・・。
1.ここにきて、急に駆け足になってしまいましたね。だから言わんこっちゃないと(笑)。
2.岩崎弥太郎はNHKからは相当嫌われてますね。三菱系テレビ局と反目でもしたのでしょうか(笑)。
3.弥太郎と栄一は同世代のはずですが、あれでは、どう見ても、大人と子供。まあ、武田信玄と上杉謙信も14歳下の謙信が年上が演じることが多いですから、珍しいことはないのでしょうが。
4.まさかの渋沢敬三も出るんですよね。そこまで欲張らないでもいいように思うんですが。でも、そうなると、雅英翁も出るんですよね?となると、大河ドラマ史上初のまだ健在の人が登場ということになるのでしょうか?
1.>全41話だそうですが、少し気の毒なのは、麒麟が今年に食い込んで2月スタートになったのは仕方がなかったとしても、オリパラが寸前までやるかやらないかがわかりませんでしたから、あれでたぶん5話ぐらい短縮になってしまったでしょう。
もしオリパラが中止なら、45、6話あったかもしれないと考えると、それを短縮するのは相当骨折りだったんじゃないかと。
その埋め合わせかどうか、最終回とその1話前は15分拡大版になるそうですが、合計30分では、穴埋めにはならないでしょうね。
そんな流動的なスケジュールのなかで、今年の脚本家の大森美香さんはよくやっていると思いますよ。
去年の「麒麟」や一昨年の「西郷どん」の後半駆け足とは、ちょっと種類が違うと思います。
2.>いや、でも、少なくとも渋沢栄一側の視点でいえば、自伝や伝記をほぼ忠実に描いていますよ。
もちろん、岩崎側からすれば言い分はあるでしょうが。
3.>弥太郎と栄一は6歳差ですね。
これについては、わたしも本文中で述べたとおり、無理がありますね。
ただ、これも大河ドラマあるあるですが、主人公は青年期から老年期までずっと一人の俳優さんが演じられるのに対し、後半に出てくる人物は、どうしたって年配者になっちゃいます。
かと言って、弥太郎を吉沢くんと同世代の俳優さんが演じたら、これもおかしいですしね。
仕方がないんじゃないでしょうか。
4.>わたしも詳しくは知らないのですが、たぶん渋沢敬三は最終回のエピローグでちょっとだけ出るぐらいなんじゃないでしょうか?
たぶんですけど。