近江佐和山城攻城記。 その4 <隅石垣、千貫井>
「その3」のつづきです。
佐和山城本丸の南側を歩きます。
なんとなく虎口跡の痕跡のような地形に見えます。
本丸の最南端には大きな岩があり、その下が一段下がった曲輪になっています。
これは石垣の痕跡でしょうか?
微妙ですね。
石垣の痕跡のようにも見えるし、ただの自然石のようにも見える。
切岸は結構な高さです。
下の曲輪に降りると、石垣の誘導板と木柱がありました。
この先30mとあります。
行ってみましょう。
ありました。
たしかに、これはどう見ても自然石には見えませんね。
四方切りそろえられた石が2段に積まれ、出隅石垣に見えます。
石垣だとすれば、石田三成の時代の遺構でしょう。
パンフレットの説明書きによると、この石垣は本丸の隅部に位置し、石垣の基底部であったと考えられるそうです。
本丸の外周にはこのような石垣を7箇所で確認することができるそうですが、ここ以外、見つかりませんでした。
さっきの大きな石も、その1つでしょうか?
石垣をあとにして、パンフレットの案内図にある登城道と書かれた道を進みます。
何か看板が見えてきました。
「千貫井」と「石垣」とあります。
石垣はさっきのやつですね。
「千貫井」は井戸跡のようです。
誘導板があります。
行ってみましょう。
少し下ると、水溜りのような場所に出ました。
これが井戸跡でしょうか?
井戸というには、少し大きいような・・・。
その横に祠があります。
説明板です。
文字が消えかかって読みづらいですが、お金の千貫にも替えがたい貴重な井戸というのが、その名の由来だそうです。
祠の中には、小さな石仏と「石田一族之霊位」と書かれた卒塔婆があります。
祠の横には、「紫鱗龍王」と刻まれた石碑が。
紫鱗龍王って何?
ググっても出てきません。
千貫井からの南側眺望。
ここからさらに南へ下れば、太鼓丸、法華丸という曲輪があるのですが、時間の都合上、この日はパス。
本丸に戻りました。
さらに、東尾根にある二ノ丸、三ノ丸跡に行こうと思ったのですが、いくら探しても道が見つからない。
結局、断念して下山しました。
麓の観光案内所で尋ねてみると、二ノ丸、三ノ丸跡はほとんど整備されていないそうで、行けないことはないが、お勧めはしていないとのこと。
仕方がないですね。
さて、下山してしまいましたが、もう一回だけシリーズ続けます。
「その5」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2021-12-16 01:23 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)