豊臣秀次が築いた八幡山城を歩く。 その1 <登城口~二ノ丸>
滋賀県近江八幡市にある鶴翼山(通称:八幡山)の山頂に、かつて八幡山城がありました。
ここは本能寺の変と山崎の戦い後に廃城となった安土城のわずか5kmほど西に築かれた城で、豊臣秀吉の甥で関白を継いだ豊臣秀次の居城でした。

南側の田園地帯から見た八幡山です。
標高283m、比高100mの独立した丘陵の山です。

八幡山山頂へはロープウェイで登れます。
ここを訪れたのは令和元年(2019年)8月3日の猛暑日。
わたしの目的は登山ではなく城跡なので、無理せずロープウェイに乗りました。

ロープウェイです。
片道500円、往復890円。

いざ、出発。

約4分間のロープウェイの旅。


山頂の駅に到着しました。

駅を降りてすぐのところにある案内板です。
「一周歩いて30分の散策コース」とあります。

そこから北を見ると、いきなりの高石垣。

この石垣は二ノ丸下の石垣で、この上の二ノ丸跡が展望台になっているようです。

二ノ丸跡展望台に登りましょう。

二ノ丸跡展望台です。

東側の眺望です。
山頂に安土城跡がある安土山や、観音寺城跡がある繖(きぬがさ)山が見えます。
その左出前に見える湖は、琵琶湖の内湖・西の湖です。

安土城にズームイン。
ちょっと霞んじゃっていますが、手前の低い山が安土山です。
本能寺の変から3年後の天正13年(1585年)、紀州攻め、四国征伐で武功を挙げた羽柴秀次は、8月23日の論功行賞で近江八幡43万石を与えられ、安土城の隣地であるここ八幡山城を築きます。
このとき、安土城の建物や城下町を移築したと伝わります。

その説明版。
安土山の右手の高い山が繖山で、その山中に室町時代から戦国時代にかけて近江国南半部を支配した佐々木六角氏の居城・観音寺城跡があります。

ふと目を横にやると、展望台の柵の前に意味不明の「LOVE」のモニュメントが。
すぐさまスマホでググってみると、なんでも、ここは「恋人の聖地サテライト」に選定されているのだとか。
まあ、観光誘致の一環なのでしょうが、ここは続・日本100名城にも選定されている重要な史跡です。
こういう城と何の関係もないものを置くというのは、どうかと・・・。
それに、この城に住んでいた秀次の妻や愛妾ら女性たちは、秀吉によって全員処刑されますしね。
ここでプロポーズなんてしたら、不幸になっちゃいますよ。

二ノ丸跡展望台には展望館があります。

館内には、八幡山城に関する資料が展示されています。

縄張り図があります。

建物の裏手は、庭園になっています。

ここにも石垣が残っています。

二ノ丸跡だけで長くなっちゃいました。
「その2」につづきます。
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by sakanoueno-kumo | 2022-03-02 20:56 | 滋賀の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)
てっきり、近江八幡市内の公園か何かになっているものだとばかり。
前回、賤ヶ岳に行ったときに、近江八幡に泊まろうかと考えたのですが、見事に何もなく断念しました(笑)。
八幡山城は平山城ではなく山城です。
安土城の代わりに築かれた城で、同じように家臣たちの屋敷を築く予定だったようですが、安土城より標高が高くて登山道も険峻なため、結局山麓に秀次の屋敷を築いてその周辺に武家屋敷を作りました。
その秀次屋敷跡も後日、起稿しますね。
近江八幡、何もなくないですよ!
安土城はもちろん、同じく日本100名城の観音寺城、ここ八幡山城は続日本100名城、そしてその山麓の八幡堀はかつての近江商人の街の景観をそのまま残していて、時代劇のロケ地にめっちゃ使われています。
今度はぜひ立ち寄ってみてください。