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鎌倉殿の13人 第12話「亀の前事件」 ~政子の万寿出産と頼朝のゲス不倫~

 寿永元年(1182年)812日、北条政子が男子を出産しました。幼名は万寿。のちの二代将軍・源頼家です。源頼朝36、鎌倉入り3年目にして待望の後継者男子の誕生でした。政子が頼家を懐妊した際、安産祈祷のため鶴岡八幡宮若宮大路の整備を行った話は有名ですね。今も残るあの長く一直線に伸びる参道は、政子の産道を意味していると伝わります。「参道=産道」・・・ダジャレか~い!・・・というツッコミは無粋ですね。頼朝はいたって真面目に政子の安産を願ったのでしょう。その甲斐あってか、周囲の祝福を一身に受けての誕生だった万寿ですが、将来彼に訪れる運命を考えると、生まれてきて幸せだったのかどうか・・・。


鎌倉殿の13人 第12話「亀の前事件」 ~政子の万寿出産と頼朝のゲス不倫~_e0158128_20044046.jpg 万寿が生まれる1ヵ月ほど前の720日、鶴岡八幡宮若宮の宝殿の上棟が行われ、社頭東方に建てられた仮屋に頼朝が着座し、その南北に御家人が列座しました。その際、頼朝は大工に与える馬の引手を弟の義経に命じます。ところが、義経はこれを拒否。『吾妻鏡』には、「所役卑下の由を存じ、事を左右に寄せて難渋せらるる」とあります。その役目はもっと下の者にやらせるべきだ、と。これに対して頼朝は激怒し、御家人たちの前で義経を叱責しました。『吾妻鏡』には、「九郎すこぶる恐怖し」とあります。よほど激しい叱責だったのでしょうね。義経にしてみれば、自分は頼朝の弟であり、御家人たちとはランクが違うという思いがあったのでしょうが、頼朝の考えは、兄弟といえども御家人たちと同列、という考えだったんですね。この考えの違いが、のちのち兄弟の溝を深めていく一因となっていきます。


 弟には厳しい頼朝でしたが、妻の政子には頭が上がらないというエピソードが、今回のサブタイトル「亀の前事件」ですね。亀の前という女性の素性は定かではありませんが、『吾妻鏡』によると、頼朝の流人暮らしの頃から仕えており、容貌すぐれて柔和な性格で気に入られ、寿永元年(1182年)の春頃から密かに亀の前を鎌倉に呼び寄せて寵愛していたといいます。寿永元年(1182年)の春頃といえば、政子の懐妊中ですね。妻の妊娠中に夫が浮気・・・現代でもよく聞く話です。あっ、わたしの話じゃないですよ。もちろん。


 鎌倉殿の13人 第12話「亀の前事件」 ~政子の万寿出産と頼朝のゲス不倫~_e0158128_21324530.jpg頼朝は亀の前を伏見広綱の邸に住まわせ、寵愛していました。しかし、万寿を出産して鎌倉に戻った政子は、この事実を知ってしまいます。政子に情報をリークしたのは継母の牧の方でした。これを聞いた政子は大激怒。1110日、牧の方の兄の牧宗親に命じて広綱の邸を破壊させます。これは後妻打ち(うわなりうち)といい、ドラマで牧の方が説明していたとおり、離縁された前妻が、別れた夫の新しい妻に対し、仲間たちとともに棒や竹刀を持って押しかけ、家で乱暴を働く行為のことを言います。平安時代の末から戦国時代頃まで続いた習俗だそうです。政子は離縁された前妻ではないのですが、これも後妻打ちの一種といっていいでしょうね。政子の気性の激しさがうかがえるエピソードです。


鎌倉殿の13人 第12話「亀の前事件」 ~政子の万寿出産と頼朝のゲス不倫~_e0158128_20415557.jpg これに対して、頼朝は大いに怒ります。しかし、怒りの矛先は政子に対してではなく、実行犯の牧宗親に対してでした。政子には怒りたくとも怒れなかったのでしょう。鎌倉殿になったとはいえ、やはり北条家あっての頼朝。マスオさん状態でしたからね。頼朝は牧宗親を呼び出して激しく叱責しました。宗親は顔を地にこすりつけて平伏しましたが、怒りが収まらない頼朝は、宗親の髻を切ってしまいます。髻を切られるというのは、当時の人々にとって、たいへんな恥辱、屈辱だったそうです。現代でいえば、公衆の面前にフルチンで立たされるようなものだったでしょうか。宗親は相当悔しかったようで、泣きながらその場を逃げ出したといいます。


これを知った北条時政が、今度は頼朝に対して激怒。政子は自身の娘であり、宗親は牧の方の兄ですから、時政から見れば義兄。娘と妻と義兄を辱められたわけですから、怒って当然ですね。時政は一族を率いて伊豆国へ立ち退いてしまいます。これにはさすがに頼朝も慌てますが、北条一族では義時だけが父に従わずに鎌倉に残り、頼朝から称賛されたと伝わります。これ以来、頼朝が義時を深く信頼するようになった、と。義時は特に何もしていないんですけどね。何もせずにいたら頼朝の信頼を得たという棚ぼたエピソードです。


 ドラマでは、この亀の前事件に政子と牧の方のバトルを絡めて面白くアレンジしていましたね。政子よりも牧の方主導だったという設定も面白かったし、そこに義経を加えたというのも秀逸でした。義経に謹慎を言い渡すも、すぐさま宗親に「おまえのせいでかわいい弟を罰せねばならなかったではないか!」と𠮟責して髻を切る。あれ、わざと義経に聞かせたんでしょうね。義経がくさらないように。馬の引手の件でも叱責して、今回もまた謹慎処分を言い渡したけど、だけどお前はわたしのかわいい弟だ、と。さすが頼朝、策士です。


 それにしても、現代に後妻打ちがなくて良かったですね。

 「ここまでするか~!?・・・身に覚えがある人、けっこういたのでは? 

 あっ、わたしの話じゃないですよ。もちろん。



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by sakanoueno-kumo | 2022-03-28 21:40 | 鎌倉殿の13人 | Trackback | Comments(2)

 

Commented by kumikokumyon at 2022-03-31 07:32


「私の話じゃないですよ」が2回書いてあるとこが怪しいな(笑)
 
あの時代の女性はじっと我慢するのが普通?と思っていましたが後妻打ちなんて慣習があったとは驚きです。一文で済ませられる亀の前事件をこうして取り上げて本文に重ね合わせるとこ、三谷さんってやっぱすごいですね。

けど頼朝亡き後にいっぱいエピソードがあるのにこの進展で大丈夫なのかなって少し心配です。 
三谷さんだったら上手に纏められるとは思いますが。
Commented by sakanoueno-kumo at 2022-03-31 10:59
> kumikokumyonさん

いえいえ、わたしの話じゃないですよ。もちろん(笑)。

女性が抑えつけられるようになったのは江戸時代に入ってからのことで、中世や戦国時代の女性はもっと強く、時には政治にも口出し出来たといいます。
ただ、北条政子、日野富子、淀殿と、女性が政治に首を突っ込むと世が乱れているというのも事実。
徳川幕府はそれを教訓に女性を奥に引っ込めたのかもしれませんね。

>頼朝亡き後にいっぱいエピソードがあるのにこの進展で大丈夫なのか

たしかに、私も少しそれを感じますが、去年の青天や一昨年の麒麟と違って、今年はコロナやオリンピックの影響もないから、しっかり50話ほどあるはず。
たぶん、7月か8月あたりに頼朝が死ぬんじゃないでしょうか?
だいたい毎年中盤に大物が死に、前半のクライマックスになりますから。
あと、今年は例年よりオープニングの音楽が短いって知ってました?
なので、制作スタッフの名前とかは音楽内に収まらず、ドラマ中に流れてますよね。
ちょっとでもたくさん描きたいという制作サイドの意図が感じられます。
きっと、旨くまてめてくれるんじゃないでしょうか?

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