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豊臣秀吉が眠る豊国廟。

徳川家康の墓といえば、世界遺産にも登録されている日光東照宮や静岡県の久能山東照宮が有名ですが、同じく天下人だった豊臣秀吉の墓は、あまり知られていません。

秀吉の墓は、京都の東山にあります。

前稿まで、京都に秀吉が築いた伏見城跡聚楽第跡京都新城跡をめぐってきたので、今回は秀吉の墓参りに訪れました。


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鳥居の向こうに見える山の頂に、秀吉の墓があります。

京都市東山区にある標高196阿弥陀ヶ峰です。


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看板には「豊國廟」とあり「御遺命による豊臣秀吉公埋葬の地」と記されていますね。


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慶長3年(1598年)818日に伏見城にて63歳の生涯を閉じた秀吉の遺骸は、その遺命により、この場所に葬られました。

そしてその翌年418日には後陽成天皇より故・秀吉に対して正一位豊国大明神の神位・神号が下賜され、山腹のこの場所に、境内域30万坪、社領1万石を誇る壮大壮麗豊国社が創建されました。


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以後、毎年4月と8月の18日には、勅使や高台院(北政所・おね・ねね)、豊臣秀頼の名代を迎えて盛大な祭礼(豊国祭)が執り行われていたそうです。


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ところが、豊臣氏が滅びて徳川家の時代になると、豊国廟豊国社破壊され、参道も封鎖され、明治の世まで放置されていました。


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石灯籠には、豊臣家の家紋「五七桐」があります。


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ここから山頂まで563の長い石段を登ります。


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志納金100を払いましょう。


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これはヘビーです。


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もうすぐ頂上・・・。


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と思ったら違いました。


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中腹にある唐門です。

立派な唐門ですね。

唐門の向こうに、まだ石段が伸びているのが見えます。


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唐門の木戸にも豊臣家の家紋「五七桐」が。


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長く伸びる石段。

平成8年(1996年)の大河ドラマ『秀吉』のオープニングで、少年時代の秀吉が駆け上がっていた映像を覚えているでしょうか?

あの石段です。


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もうひと踏ん張りです。


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今度こそ頂上が見えてきました。


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山頂に着きました。


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中央に巨大な五輪塔があります。

この五輪塔は、明治30年(1897年)に建立されたものです。


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高さ10ほどあります。


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ここにも豊臣家の家紋「五七桐」が。


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上述したとおり、豊国廟豊国社は、徳川幕府によって破壊されてしまいました。

一説には、秀吉の遺体は墓から引きずり出されて腐ったまま磔にされた、なんて話もありますが、俗説のようですね。

秀吉の墓は300年近く放置プレイ状態だったようです。


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明治に入り、徳川幕府を滅ぼした明治政府は、300年近く徳川幕府によって封印されてきた秀吉を顕彰するため、300年忌にあたる明治30年(1897)に豊国神社を再建しました。

その際、秀吉の墓を改葬のために発掘すると、土中から直径1mほどの素焼きの壷が発見され、そのなかに、秀吉の遺骸とおぼしきミイラ化した遺体が手足を組んで座していたそうです。

副葬品の類は全くなかったようで、江戸時代初頭の盗掘によるものと思われますが、詳しいことはわかっていません。


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ところが、改葬のため壺を移動させようとしたとき、作業員の不手際か、風化が進んでいた秀吉の遺骸はボロボロ崩れ落ちてしまったそうです。

そこで、やむなく崩れた遺体を拾い集め、絹に包んで桐箱に入れ直し、丁重に再埋葬されたそうです。

残念ながら、このとき遺体の化学的調査は行われなかったようです(『豊太閤改葬始末』より)。


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秀吉の墓から北を見ると、清水寺が見えます。


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清水寺にズームイン。


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おそらく、この景色は400年前も今もそれほど変わらないのではないでしょうか?


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この日、麓に車を停めてから山頂の墓を参って下山するまで、誰にも会いませんでした。

同じく天下人の家康の廟所の日光や久能山がいつも参拝客でいっぱいなのを思えば、少し寂しい気がしますね。


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冒頭の鳥居のあった麓に、秀吉の孫の豊臣国松と秀吉の愛妾・松の丸殿供養塔(五輪塔)があります。

次稿では、そこもお参りしましょう。




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by sakanoueno-kumo | 2022-03-31 11:08 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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