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鎌倉殿の13人 第13話「幼なじみの絆」 ~頼朝と義仲の提携~

鎌倉殿の13人 第13話「幼なじみの絆」 ~頼朝と義仲の提携~_e0158128_20043762.jpg ようやく木曾義仲が出てきましたね。義仲は源頼朝・義経の亡き父・源義朝の異母弟・源義賢の次男で、頼朝・義経の従兄弟にあたります。父の義賢はドラマの進行より遡ること38年前の久寿2年(1155年)8月、武蔵国の大蔵合戦において頼朝の兄・源義平の軍勢によって殺され、当時2歳だった義仲は信濃国木曾谷に逃れ、その地で成長しました。治承4年(1180年)4月に以仁王が挙兵し、8月に頼朝が挙兵すると、同年9月、義仲も信濃で挙兵。父の旧領であった上野国に進出しました。その後、いったんは信濃に撤退しますが、翌年の治承5年(1181年)6月、横田河原の戦いで平家方の城長茂を破り、そのまま越後から北陸道へと進出。さらに翌年の寿永元年(1182年)には、北陸に逃れてきた以仁王の遺児・北陸宮を擁護し、以仁王挙兵を継承する存在となります。義仲は北陸宮を天皇にするという大義名分を得たわけです。これには頼朝も焦ったことでしょう。


鎌倉殿の13人 第13話「幼なじみの絆」 ~頼朝と義仲の提携~_e0158128_20132646.jpg ドラマでは描かれていませんでしたが、寿永2年(1183年)2月、頼朝や義仲から見れば叔父にあたる源氏一族の志田義広が頼朝と対立して敗走すると、義仲はこれを庇護しました。また、同じく叔父の源行家も、頼朝から追い払われたあとに義仲を頼りました。こちらはドラマで描かれていましたね。この2人の叔父を庇護したことで、頼朝と義仲の関係は悪化します。『吾妻鏡』は寿永2年の記事が欠落しているため、この間の事情を詳しく知ることができませんが、『平家物語』諸本によると、頼朝と義仲の仲が不和になった理由として、行家が義仲に属したことや、甲斐源氏の武田信光による頼朝への讒言が原因だったと記しています。讒言の内容とは、「義仲が平家と同盟して頼朝を討つつもりだ」というもの。ただ、『源平盛衰記』では、この讒言は武田信光が娘を義仲の嫡男・義高に嫁がせようとして断られた腹いせだったと伝えます。


『平家物語』によると、武田信光の讒言に怒った頼朝は、10万の大軍を率いて出陣しました。義仲もいったん出陣したものの、「頼朝と戦っても平家が喜ぶだけだ」と思い直し、兵を退いたといいます。その後、両者の間で講和交渉が行われ、頼朝は叔父の行家の引き渡しを要求しました。しかし、行家がこれを拒否したため、義仲は嫡男の義高人質として差し出し、和睦が成立したといいます。『吾妻鏡』では、義高を頼朝の娘・大姫婿としていますが、当時、大姫はまだ数え5、義高は11ですから、まだ正式な婿とはいえず許嫁であり、実質的には人質でした。


 ドラマでは、頼朝は義仲に対して軍を差し向けるというところまではいかず、探りの使者を送るという設定でしたね。『平家物語』は虚構が多い物語ですから、あるいはそうだったかもしれません。その使者となったのが、頼朝の弟の源範頼と義弟の北条義時でしたが、これはもちろんドラマの創作です。もっとも、義仲が庇護していた志田義広との戦いに範頼が参戦していたという記録があるため、範頼が講和交渉の使者となったというのはあったかもしれません。義時は、きっとなかったでしょうね。まだ、この時期の義時はそこまで大役を任される存在ではなかったでしょう。


 一般に粗暴なイメージのある義仲ですが、本作の義仲は違うようですね。


「噂とは、流す者に都合よくできている。惑わされてはならぬ。俺が北陸に兵を進めたのは、東海道に向かえば頼朝殿や甲斐武田とぶつかる。それを避けるためだ。答えになっているか?」


 いやあ、なかなかな男前ですね。これまでの義仲は、武芸には長けているけど政治センスがまったくなく、頼朝の敵ではなかったという描かれ方でしたが、本作の義仲は、うかうかしていたら天下を獲っちゃいそうですね。新しい義仲像が見れそうです。


 新鮮といえば、ここまで観てきて北条政子のキャラも新鮮ですね。これまでの政子のイメージだと、日本三大悪女として知られるほど気の強いじゃじゃ馬のイメージですが、本作は、先週の亀の前事件でも主導したのは牧の方で、政子はどちらかといえば受け身だったし、今週はその亀の前の説教に耳を傾ける素直なかわいい女性に描かれています。これも、今までにはなかった政子像ですね。これから先(特に頼朝の死後)、政治にも深く関わっていくことになる政子ですが、どんな立ち位置で描かれるのか、今後も楽しみですね。



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by sakanoueno-kumo | 2022-04-04 19:15 | 鎌倉殿の13人 | Trackback | Comments(2)  

Commented by kumikokumyon at 2022-04-05 08:15
今まで木曽義仲は最後の死に様くらいしか知らなかったので今回の大河で詳しく取り上げられ、また師匠のご説明でよくわかりました。
で、今回びっくりしたのは巴御前の眉毛がつながっていたことです!!三谷さんの演出さすがです。ここでべっぴんさんの女優だと普通ですもんね。
それと義高は八代目市川染五郎、歌舞伎界のサラブレッド17歳!!父親の木曽義仲のワイルドさとは対照的な美少年。
しかし義高はこの後悲劇に見舞われるのですよね、かわいそう過ぎます。
Commented by sakanoueno-kumo at 2022-04-05 13:34
> kumikokumyonさん

眉毛、強烈でしたね。
わたしはこの女優さんのことをよく知らなかったので、思わずスマホでググってみたら、実際には眉毛つながってませんでした。(当然ですが、笑)
元AKBの子なんですね。
田舎の娘という演出でああなったのでしょうが、こののち義仲と共に京に上ったとき、あるいは都の女性に感化されて眉毛を剃るのかもしれませんね。
そこで下手な化粧をして笑いをとるという三谷ワールドかもしれませんよ。
お歯黒なんかもしたりして(笑)。
ちなみに、平成17年(2005年)の大河ドラマ『義経』のときは、今回北条政子役の小池栄子さんが巴御前役でしたね。

義高役、8代目市川染五郎だったんですね。
あとからネットニュースで知りました。
先週まで日曜日早朝のNHK-BSで、6代目市川染五郎(現2代目松本白鸚)主演の昭和53年(1978年)の大河ドラマ『黄金の日々』の再放送をやっていましたが、先週その最終回で、7代目市川染五郎(現10代目松本幸四郎)が子役で出てきて驚いたばかりでした。
父子三代に渡っての大河ドラマ出演。
松たか子も『秀吉』や『坂の上の雲』に出てましたしね。
まさに大河ドラマ一家ですね。

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