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豊臣秀吉を祀る京都・豊国神社。 その2 <宝物殿>

「その1」のつづきです。

京都・豊国神社宝物館を紹介します。


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宝物館です。

鉄筋コンクリート製ですが、開館は大正14(1925)12月だそうですから、当時としては、最先端の建造物だったのでしょうね。


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館内は撮影オッケー

これはありがたいですね。


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鎧兜や掛け軸、刀など、豊臣家ゆかりの品々が所狭しと展示されています。


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ガラスも大正時代のものだそうです。

よく見ると、写り込みが波打っているのがわかるでしょうか?

一枚一枚手作りされていた時代の貴重なガラスです。


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正親町天皇の綸旨もあります。


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この刀は、名刀「骨喰藤四郎」

鎌倉時代の京都粟田口の刀工、藤四郎吉光の作と伝えられ、斬る真似をするだけで骨まで砕ける名刀と伝わるものです。

その始まりは豊後大友家の始祖・大友能直源頼朝から拝領し、南北朝時代初めに大友家から足利尊氏に献上され、以後、足利将軍家の重宝として伝えられましたが、永禄の変足利義輝三好義継、松永久通らによって殺害された際、松永久秀の手に渡ったそうです。

それを大友宗麟が聞きつけ、大友家こそ元の持ち主であると主張して久秀から買い戻したといいます。

その後、宗麟の嫡男・大友義統から豊臣秀吉に献上され、豊臣家筆頭の重宝となりました。

豊臣家滅亡後は徳川秀忠の手に渡り、以後、徳川将軍家の蔵刀となりましたが、明治維新後に徳川家当主となった徳川家達がここ豊国神社に奉納し、現在に至るそうです。


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源氏から大友、松永、豊臣、そして徳川と渡り歩いた刀。

スゴイですね。

ちなみに、この説明文では足利義輝を殺害したのは松永久秀と書いていますが、現在では久秀の関与は否定されています。

書き直してほしいですね。


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そして、もっとも目を引いたのは、こちら。

な、な、なんと、秀吉の歯だそうです。


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この歯は、生前の秀吉が賤ヶ岳七本槍のひとりである加藤嘉明に形見として贈ったものだそうで、秀吉自筆の添え状もあります。


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豊国廟の稿でも述べたとおり、秀吉の遺骨は改葬時に調査は行われませんでしたが、このが見つかったおかげで、いろいろなことがわかったそうです。

この歯は、上あごの左側の親しらずの一本手前の歯で、歯垢が多くついていることから、前後の歯が無かったことを意味しているそうです。

その状態から、晩年の秀吉は歯周病に悩まされ、歯がボロボロの状態でこれが最後の一本だったと推定されたそうです。

さらに、血液型はO型だったことも分かったそうです。

たしかに、われわれの知る秀吉像は、いかにもO型っぽい(笑)。


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こちらは、豊国祭礼図屏風

本物です。

こちらは右隻

中央に描かれているのが、かつての豊国社です。


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これが豊国社。

境内域30万坪、社領1万石を誇る壮大壮麗な神社だったと伝わります。


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そして、こちらが左隻です。

方広寺大仏殿を中心に、豊国祭の様子が描かれています。


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大仏殿です。

正面から撮るとガラスが反射しちゃうので、こんな斜めからの写真になっちゃっています。


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豊国社では毎年4月と8月の18日には、勅使や高台院(北政所・おね・ねね)、豊臣秀頼の名代を迎えて盛大な祭礼(豊国祭)が執り行われていたそうです。


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謎のタケノコ男がいます(笑)。

コスプレですね(笑)。


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宝物館の別棟に、豊国祭礼図屏風のレプリカがあります。

本物はガラスケースの中ですが、レプリカは直に見れます。


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色もレプリカの方が鮮やかです。


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でも、近くでよく見ると印刷だってわかるんですけどね。


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こっちにも謎のタケノコ男がいます(笑)。


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このレプリカは高精細デジタルカメラで原本を撮影した画像を基に、和紙の上に貼った金箔に直接印刷しているそうです。


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さて、宝物館も堪能しました。

次稿では、かつてこの地にあった方広寺大仏殿の跡を歩きます。




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by sakanoueno-kumo | 2022-04-07 23:47 | 京都の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)  

Commented by kumikokumyon at 2022-04-08 08:04
この宝物館、一見の価値ありですね!
歯がみてみたいです。しかし歯以外の遺骨も残しておいて
欲しかったですね~
母の実家の古いお墓が大谷本廟にあるのでお参りするときにいってみようかしら。

それにしても何このたけのこ男?面白すぎ!!
Commented by sakanoueno-kumo at 2022-04-09 21:33
> kumikokumyonさん

RESS遅くなってスミマセン。
いま仕事がめちゃめちゃ忙しくて・・・。

豊国廟の稿でも述べましたが、秀吉の遺骸とおぼしきミイラ化した遺体が明治の改葬時に見つかりましたが、改葬のため壺を移動させようとしたとき、作業員の不手際か、風化が進んでいた秀吉の遺骸はボロボロ崩れ落ちてしまったそうで、そこで、やむなく崩れた遺体を拾い集め、絹に包んで桐箱に入れ直し、丁重に再埋葬されたそうです。
今ならDNA鑑定でいろんなことがわかったでしょうけど、当時は化学的な調査はされず、崩れた遺体を拾い集め、絹に包んで桐箱に入れ直し、丁重に再埋葬されたそうです。

今度のハロウィンでタケノコ男のコスプレやってみようかな(笑)。
Commented by heitaroh at 2022-04-26 16:24
他のは撮ったのですが、肝心の「歯」だけ撮り忘れました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2022-04-26 20:13
> heitarohさん

それは残念。
またお運びください。

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