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松永久秀終焉の地・信貴山城。 その2 <登山道~雌嶽>

「その1」のつづきです。

朝護孫子寺を参拝したので、信貴山城を攻め登りましょう。


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上の写真は朝護孫子寺本堂から見た信貴山です。

今からあの山を登ります。


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登山口は本堂に向かう参道脇にあります。

誘導板には、城跡まで600とあります。


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信貴山は山全体が朝護孫子寺の寺領ということもあり、登山道は石段が整備されています。


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ここを訪れたのは令和2年(2020年)1129日。

かろうじて紅葉が残っていました。


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多宝堂です。


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行者堂です。


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信貴山山頂には空鉢護法堂があるため、登山道はその参道となっており、鳥居が連なります。


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朱色の木の鳥居もあれば、


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石の鳥居もあり、


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金属製の鳥居もあります。

この違いは何なんでしょうね。


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信貴山城の最初の築城の伝承としては、南北朝時代に楠木正成が築いたという説がありますが、史料の裏付けはなく定かではありません。

史料に見られる最古のものは、長禄4年(1460年)10月、河内国守護の畠山総州家畠山義就が、紀州根来寺との戦いに敗れて信貴山へ陣を退いたとの記述が『経覚私要抄』にあり、さらに、後年には、総州家と対立する畠山尾州家畠山尚慶が信貴城を使用したとの記述が『足利季世記』にありますが、当時は大規模な城郭ではなく、国境の砦のようなものだったと考えられています。


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その後、本格的な城郭を信貴山に築いたのは、畠山総州家の元家臣であり、のちに細川晴元に仕えて河内国守護代に任じられた木沢長政でした。

木沢長政は旧主である畠山総州家と畠山尾州家を和睦させたうえで傀儡化して実権を握り、河内国のみならず近隣諸国へ勢力を伸ばしました。

天文5年(1536年)6月には信貴山城の完成を祝して本願寺から酒樽が贈られたとの記述が『証如上人日記』に見られます。


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木沢長政が天文11年(1542年)3月の太平寺の戦い敗死すると、信貴山城は二上山城と共に落城しました。

その後、十数年もの空白を経て、永禄2年(1559年)に畿内の有力者である三好長慶の重臣・松永久秀が入城し、大規模な城郭を築きました。


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ようおまいり。


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登山開始から約15分。

城跡の案内看板が設置された場所に到着しました。


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縄張り図です。

信貴山は雄嶽雌嶽に分かれていで、この看板のある場所がその鞍部です。

主郭は雄嶽山頂にありますが、雌嶽山頂にも曲輪があるようなので、行ってみましょう。


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雌嶽曲輪の切岸です。


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雌嶽の山頂に登ってきました。

信貴山南峰と書かれた札があります。

スマホのアプリで調べてみると、雌嶽は標高398

雄嶽が標高433mですから、35mほど低いです。


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雌嶽曲輪は細長い形状です。

主郭の南側の曲輪で、朝護孫子寺からの登山道からの最初の曲輪でもあるので、ここに見張り台のような櫓があったのではないかと想像します。


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雌嶽曲輪の南側は一段低くなっています。


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その下段に降りて北側を見上げると、明らかに虎口跡と見られる地形が確認できました。


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こちらは、上から見た虎口跡


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さて、雌嶽曲輪まで攻略しました。

次はいよいよ雄嶽の主郭ですが、長くなっちゃったので、「その3」につづきます。




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by sakanoueno-kumo | 2022-05-07 12:11 | 奈良の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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