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鎌倉殿の13人 第18話「壇ノ浦で舞った男」その2 ~平家滅亡~

 「その1」のつづきです。

 屋島の戦いに敗走した平家軍は、安徳天皇とともに最後の拠点である長門彦島に逃れました。一方、屋島の戦いに勝利した源義経軍は、熊野水軍を味方につけるなど勢力を拡大しながら平家を追撃しました。そして、元暦2年(1185年)324日、源平合戦最後の戦いが長府沖の海域で始まりました。世にいう「壇ノ浦の戦い」です。九条兼実の日記『玉葉』によると、戦後、当日の合戦状況を義経は朝廷に次のように報告しています。


 追討大将軍義経、去る夜飛脚(札を相副ふ)を進し申して云はく、去る三月二十四日午の刻、長門の国團に於いて合戦す(海上に於いて合戦すと云々)。午正より申の刻に至る。伐ち取るの者と云ひ、生け取るの輩と云ひ、その数を知らず。この中、前の内大臣・右衛門の督清宗(内府子なり)・平大納言時忠・全眞僧都等生虜となると云々。また宝物等御坐すの由、同じく申し上ぐる所なり。但し旧主の御事分明ならずと云々。


 この報告によると、壇ノ浦の戦いは正午から午後4時頃にかけて海上で行われ、義経軍の圧勝に終わりました。義経は平家一門のうち平宗盛・清宗父子や、平時忠、全真僧都を生け捕りにし、三種の神器も無事だったが、安徳天皇の安否がつかめていないとしています。三種の神器については、実際には宝剣が海底に沈んで失われてしまっていますが、義経が飛脚を送った時点ではそれがわかっていなかったか、あるいは九条兼実の聞き違いだったのかもしれません。


鎌倉殿の13人 第18話「壇ノ浦で舞った男」その2 ~平家滅亡~_e0158128_20044046.jpg 壇ノ浦の戦いの義経軍の勝因については、潮流説が有名ですね。合戦の序盤は西から東に潮が流れていたため平家軍が有利だったが、やがて潮の流れが逆になり、東から攻める源氏軍が優勢となった、と。この潮の流れの変化を義経があらかじめ予測して作戦を立て、平家軍を撃滅した、と。この説は、大正時代に歴史学者の黒板勝美氏が提唱した論証です。しかし、戦後の潮流推計の進展により、現在ではこの説は否定されています。ドラマでもこの説は採っていなかったですね。先日、テレビの特番でもこの潮流説を検証していましたが、考えてみれば、追い風、向かい風ならともかく、追い潮、向かい潮であったとしても、同じ潮の流れに乗っている以上、双方の相対速度は変わらないので距離に影響はなく、弓矢の威力とも無関係ですよね。わたしはこの潮流説を信じていたので、裏切られた気分です(苦笑)。


 また、非戦闘員である水手、梶取討ち説も有名ですね。この時代の海戦では、非戦闘員の水手、梶取を射ることは戦の作法に反する行為でしたが、義経はあえてその掟破りの戦術を命じて平家軍を壊滅させた、と。そもそも義経の戦いは一の谷も屋島も奇襲ですから、これも義経ならやりかねないとわたしも思いますが、歴史家の呉座勇一氏の著書『頼朝と義時』では、『平家物語』をよく読むと、義経が水手、梶取を射るよう命じる場面はなく、義経軍が船員を殺害したのはもはや大勢が決して敵船に乗り込む段階でのことで、勝敗を左右したわけではないとしています。これもわたし、信じていたので、またまた裏切られた気分です(苦笑)。


 では、義経軍の勝因は何だったのか。呉座勇一氏は単純に戦力で上回っていたからと説かれていますが、そう言ってしまえば元も子もないので、『平家物語』の伝えるところに着目すると、序盤戦は平家軍が優勢だったものの、四国の粟田重能率いる水軍300寝返って義経軍についたため、平家軍は前面に義経軍、背後に粟田重能の四国の水軍、海辺に源範頼軍に囲まれ、逃げ場を失って壊滅したとあります。これなら信憑性がありそうですが、ただ、『吾妻鏡』によれば、阿波重能は合戦後の捕虜に含まれているそうで、真偽は定かではありません。やはり、単純に戦力で上回っていたから、というところに落ち着くのでしょうか。


 義経の伝説の「義経の八艘飛び」が描かれていましたね。これについては言うまでもなく虚構でしょう。そもそも『平家物語』では、義経が船から船へ飛び移ったのは一回だけですが、後世に話がどんどん盛られて「八艘飛び」になったようです。


 この戦いで平家方は、平知盛、経盛、教盛、有盛、行盛らが討死または自害しました。ただ、源氏方にとって誤算だったのは、二位尼(平時子)安徳天皇を抱いて入水して命を落とし、三種の神器のうち宝剣が海の底に沈んだことでした。安徳天皇と三種の神器の無事は、後白河法皇源頼朝が最も望んでいたことでした。平家追討という軍事目的のみを優先するあまり、法皇と頼朝の第一目的を果たせなかった義経。源氏の悲願であった平家討伐を果たしたにも関わらず、次第に頼朝との関係が悪化していきます。


鎌倉殿の13人 第18話「壇ノ浦で舞った男」その2 ~平家滅亡~_e0158128_18270643.jpg 頼朝と義経の確執について、よく知られているのは、壇ノ浦の戦い後の梶原景時による讒言があげられます。『吾妻鏡』によると、景時は頼朝に対して、「義経は自分一人で平家を滅ぼしたと勘違いして傲慢になり、御家人たちが反発している」告発し、これを信じた頼朝が、義経を寄せ付けなくなった、と。このエピソードは後世の判官贔屓の観点から景時の陰険な讒言と捉えられることが多いですが、「讒言」という言葉を辞書で引くと、他人をおとしいれるため、ありもしない話を作って目上の人に告げること、とあります。しかし、景時の告発は、決してありもしない話ではなく、むしろ、合戦に参加した御家人たちの不満を代弁したものといえるでしょう。彼らも命を賭けて屋島、そして壇ノ浦で戦ったにも関わらず、義経の華々しい活躍の前に大きな勲功を得る機会を奪われ、平家追討は義経の独壇場で終わってしまいました。景時の告発は、決して讒言ではなかったんですね。今回のドラマの景時は、頼朝、義経双方の立場、才を理解したうえで、頼朝政権維持のために義経を切り捨てるよう諫言したという設定でしたね。


鎌倉殿の13人 第18話「壇ノ浦で舞った男」その2 ~平家滅亡~_e0158128_20415557.jpg 頼朝と義経の決裂は、一般に「腰越状」とされます。『吾妻鏡』によると、壇ノ浦の戦いから約2ヵ月後、平家一門の総帥である平宗盛を鎌倉に護送中の義経が、上述した景時の告発もあって頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを許されずに腰越に留まっていたとき、頼朝の誤解を解くために弁明書を書いて提出するも、かえって頼朝の怒りを買ったといいます。その理由は定かではありませんが、そもそもこの腰越状が本当にあったのかも定かではなく、『吾妻鏡』による捏造説もあります。その理由はいろいろありますが、義経の五位衛門尉任官を、「当家の面目、希代の重職」としているところを指し、受領より格下の地位に過ぎず、「当家の面目、希代の重職」などではありえないなど、矛盾点がいくつも指摘されています。ところが、今回のドラマでは、これを逆手にとって、頼朝のかつての官職を知らない平宗盛が代筆したものとしていましたね。もちろんこれはあり得ない話ですが、創作としては秀逸でした。


 実際のところ、義経がなぜ頼朝の不興を買ったのかは定かではありませんが、二人が対立するのは歴史の事実です。検非違使に任官しなくとも、梶原景時の讒言がなくとも、腰越状がなくとも、やがて二人は対立する運命だったのかもしれませんね。


 「あのお方は、天に選ばれたお方。鎌倉殿も同じだ。お二人とも、己の信じた道を行くには手を選ばぬ。そのようなお二人が、並び立つはずはない」


 劇中、景時が義時に言った台詞ですが、案外、的を射ているかもしれませんね。両雄並び立たずです。



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by sakanoueno-kumo | 2022-05-10 23:46 | 鎌倉殿の13人 | Trackback(1) | Comments(2)  

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Tracked from 平太郎独白録 親愛なるア.. at 2022-05-13 19:19
タイトル : 広報宣伝にひらめきを持つ者だけが名将の列に連なることができる
今年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」、もう、壇之浦合戦が終わりましたね。(↑壇之浦より見る関門橋。合戦は新暦4月25日だそうですが、温暖化前であれば今の3月下旬頃の気温。水は冷たかったかと。)(↑ちょうど一か月前頃の画像です。皆、まだしっかり寒い格好しています。)本来なら、これが、源平合戦のクライマックスであるはずで、ずいぶん、駆け足で話が進みますよね。まあ、今回は源頼朝の次の世代である北条義時が主人公なので、頼朝後、承久の乱(以前は「承久の変」と言ってたはずですが、変では変換しませんね。)に向かって...... more
Commented by heitaroh at 2022-05-13 19:17
私の認識では、そもそも、平家は範頼により九州の本拠地を攻略され、彦島に逼塞を余儀なくされていたわけで、当初から玉砕覚悟で撃って出たというものでした。
だからこそ、本来、根拠地で戦況を見守っているはずの、安徳天皇ら非戦闘員までもが船に乗り込んでいたわけで。
範頼からすれば、王手をかけたところで、義経が割り込んできて、「優勝者義経」と言われたようなもので、(そのため、戦前に義経が来ると聞いて、来なくていいと頼朝に強く談判してますよね。)義経を見ていると、ナポレオンと同じく、宣伝上手な気がします。
Commented by sakanoueno-kumo at 2022-05-14 13:01
> heitarohさん

なるほど、そうだったかもしれませんね。
範頼軍が彦島を包囲したものの攻めあぐねていたところを、熊野水軍を味方につけて大軍となった義経軍が表れて手柄をかっさらったという通説どおりに思っていました。
範頼が頼朝に談判したのは、義経の越権行為を抗議したのかと。
平家方は、知盛が作戦を立てて撃って出ようとするも、ビビった宗盛がこれを拒否し、いたずらに時間を費やしているあいだに義経軍がやってきてやられちゃった、と。
ほぼ『平家物語』の記述ですが。

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