松永久秀終焉の地・信貴山城。 その4 <北曲輪群~松永屋敷跡>
「その3」のつづきです。
主郭跡まで攻略しましたが、信貴山城には主郭から北側に扇状に広がる東西550m、南北700mの城域に、大小120以上の曲輪が配置されています。

主郭から北側に降りていきます。
ここを訪れたのは令和2年(2020年)11月29日。
かろうじて紅葉が残っていました。

主郭北側一段下の曲輪です。

北側を見下すと、下にも削平地があります。

主郭北側二段下の曲輪です。

さらにその下には、広い削平地と案内板が見えます。

降りてきました。

案内板には、立入屋敷とあります。
説明文によると、戦国時代の大工頭・中井家所蔵「和州平群郡信貴山城跡之図」では、この曲輪を「立入殿屋敷」と記しているそうで、「立入殿」とは、「信貴在城衆」の1人である立入勘介のことと推測されているそうです。
信貴在城衆は信貴山城において松永久秀の政治の実務を担った家臣団であり、この曲輪が軍事的にも政治的にも重要な曲輪だったことがうかがえます。

写真では広さが伝わりづらいですね。

立入屋敷跡から北側を見下ろすと、何段も連なった広大な曲輪群が見えます。
どうやら、あそこが松永屋敷跡のようです。

松永屋敷跡の東側切岸の下まで降りてきました。

案内板です。

縄張り図を拡大します。
現在地の左側(西側)に松永屋敷跡の曲輪が南北に伸びています。

切岸が高い。

案内板前の切岸を上ると、松永屋敷跡の上から二段目の曲輪に出ました。

よくわからない謎の木工人形があります。


二段目の曲輪の西側には土塁があります。

その土塁の上に設置された信貴山城の説明書き。
「まぼろしの天空城」とあります。

こちらは松永久秀の説明書きです。

二段目から三段目に降ります。

松永屋敷跡三段目の曲輪です。

二段目と三段目の高低差はこんな感じ。

三段目の曲輪の北側に、こんもりと盛り上がった場所が見えます。

その前に案内板が立っています。

図によると、この盛り上がった四段目の曲輪が、松永屋敷で最も広い曲輪のようです。

四段目の曲輪です。

確かに広い。

この敷地面積だと、そうとう大きな屋敷が構えられます。
三好長慶から大和国の統治を任された松永久秀は、永禄2年(1559年)に信貴山城を築いて軍事の拠点とし、翌年に多聞山城を築いて政務の拠点としたといいますが、これだけ広い屋敷があったのなら、かなりの兵が籠城できたでしょうね。

松永屋敷跡北側を見下ろすと、また削平地があります。

切岸を降りてみましょう。

降りてきました。
階段が設置されているのは、松永屋敷跡四段目曲輪北側の切岸です

さらに東側の下にも曲輪があります。

降りてきました。

もう何段目とかわからなくなっちゃいました。

とにかく、松永屋敷跡を取り巻く曲輪跡を歩きます。
松永屋敷跡に東側は小さな曲輪が幾重にも連なっています。

池があります。


堀切跡には橋が設置されています。

写真では伝わりづらいですが、とにかく無数の曲輪群です。

松永屋敷跡の東側に、明らかに虎口跡と見られる場所を見つけました。

切通虎口ですね。
登ってみましょう。

さっきの松永屋敷跡三段目曲輪に戻ってきました。

上から見た虎口跡。

虎口跡の案内板が設置されていました。

さっきの松永屋敷跡四段目曲輪が見えます。

さて、最初の松永屋敷跡二段目の曲輪に戻ってきました。
謎の木人形の向こうには、松永屋敷跡一段目の曲輪の切岸が見えます。

登ってみましょう。

松永屋敷跡一段目の曲輪です。

北側には、先ほどの二段目、三段目、四段目の曲輪が連なります。

そして松永屋敷跡一段目曲輪の北側には、めっちゃ高い切岸が。
この切岸は、最初に見た立入屋敷跡の切岸です。

今度は、松永屋敷跡の西側の曲輪を目指します。

堀切跡です。
縄張り図では、この堀切の向こうの曲輪に礎石建物と書かれていました。

土橋跡です。

礎石建物の曲輪です。

礎石らしい遺構は見当たらなかったのですが、おそらくここで礎石跡が見つかったのでしょうね。

礎石建物の曲輪の北側には、ドでかい堀切があります。

深い、でかい。

その堀切の向こうにも、また曲輪跡が見えますが、堀切が深すぎるので、ここまで。

礎石建物曲輪の南側に戻ってきました。

そこから南側を上ると、立入屋敷跡に戻ってきました。
信貴山城にはまだまだ曲輪跡があるのですが、歩き回って足が棒になっちゃったので、これで下山します。

信貴山麓に降りてきました。
写真は朝護孫子寺の参道にある開運橋で、トレッスル橋脚を用いたカンチレバー橋としては日本最初期のものだそうで、国の登録有形文化財となっています。

驚いたのは、その有形文化財の橋からバンジージャンプをやっていたこと。

よーやるわ。
私は、バンジージャンプやらスカイダイビングなどを好んでする人の気がしれません(笑)。
人間は飛べないんですから、無理に飛ぶ必要はないんです(笑)。

開運橋からの南西の眺望です。

北側を見ると、さっきまで登っていた信貴山が聳えます。
ここを訪れたのは令和2年(2020年)11月29日。
秋の信貴山です。
最後に信貴山城の御城印を載せます。

ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
↓↓↓


by sakanoueno-kumo | 2022-05-14 12:45 | 奈良の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)
ところで、城跡とか山を行くのが多いじゃないですか?今頃の季節はあの嫌いな長い虫が出てきますよね・・平気なんですね?嫌いなので、冬眠時期しか行かれないです。
コメントありがとうございます。
そうなんですよね。
有形文化財の橋というのもそうですし、景観も台無しです。
虫も爬虫類もいっぱい出てきます。
わたしも虫系は得意ではありませんが、山に行くと開き直るというか、不思議とあまり感じなくなりますね。
ふだん、寒いのが嫌いなはずなのに、北海道旅行したときは寒さを感じないのと一緒でしょうか?(ちょっと違うかな?汗)
要は楽しさが苦手意識を忘れさせちゃうんだろうと。