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松永久秀の供養塔と伝わる立野五輪塔。

前稿で奈良県王子町の達磨寺にある松永久秀の墓参りをしましたが、もうひとつ、信貴山城跡から南東3km、支城の立野城から南西1kmのところに、松永久秀の供養塔と伝わる五輪塔があります。


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こちらがその供養塔。

正式名称を「立野五輪塔」というそうです。

傍らには、「松永弾正少弼久秀」と書かれた行灯看板と、説明板が設置されています。

行灯看板が既製品で安っぽいなぁ。


松永久秀の供養塔と伝わる立野五輪塔。_e0158128_13475939.jpg


説明板です。

「嗚呼義と情そして智謀の人ここに永眠さる」とあります。

また、「その死を悼み灰燼の内より兵火をくぐり五輪の石塔をこの地に運び組み立て将兵を慰霊するものなり」とありますね。

ネット情報によると、この五輪塔は地元の有志が久秀を顕彰し供養するため建てたものと伝わるそうですが、有志とは、いつの時代の有志でしょう?


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五輪塔です。

かなり古い時代のものに思えますね。

達磨寺に伝わる墓石より、こっちの方がはるかに立派で古く感じます。


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戦国の三梟雄のひとりとして名高い松永久秀。

足利を裏切り、興福寺を裏切り、三好も裏切り、東大寺の大仏に火をかけ、最後は信長を裏切ったという悪逆の限りを尽くし、あの信長にして、「この男は、一つに主家の簒奪、二つに足利将軍の謀殺、三つに奈良の大仏殿を焼き払った、常人では一つとして成せないことを三つも成した男よ」と言わしめた久秀ですが、近年の研究では、足利義輝弑逆は息子の松永久通がやったことで久秀は関与していなかったという説が有力で、東大寺の焼き討ちについても、故意の放火ではなく戦の最中の不慮の失火だったという見方が有力です。

こうしたことから、悪名高き松永久秀の人物像も、見直されつつあるようですね。


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松永久秀の供養塔と伝わる立野五輪塔。_e0158128_13524933.jpg


この立野五輪塔

住宅地の中の一角にあって、見つけるのにたいへん苦労しました。

JR関西本線の三郷駅から北に上って龍野神社を抜けた先の住宅地の一角で、目印は立野簡易郵便局です。

本当に松永久秀の供養塔として建てられたものかどうかはわかりませんが、信貴山城跡を訪れた際、時間が許せば、ここを訪れて手を合わせてみてはいかがでしょうか。




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by sakanoueno-kumo | 2022-06-10 23:18 | 奈良の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2022-06-16 18:31
戦国三梟雄って誰ですか?
宇喜田直家ともう一人は誰だろ。
斎藤道三?
でも、信長にしても、長宗我部元親にしても、伊達政宗にしても、しっかり、やってることは梟雄ですよね。
Commented by sakanoueno-kumo at 2022-06-16 20:22
> heitarohさん

斎藤道三です。
でも、おっしゃるとおり、戦国武将はみんな梟雄ですよね。
おそらく、宇喜多直家と斎藤道三は下剋上の代名詞のような人物だし、松永久秀は、将軍殺しや南都焼き討ちがそういうイメージを作っているのでしょう。

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