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城主は島左近か松永久秀か、椿井城攻城記。<後編> 南郭群

「その1」のつづきです。

椿井城跡最南端の曲輪に到着しました。

はるか向こうに見えるのは、生駒山です。


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案内板が設置されているようです。


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案内板です。

椿井城は、平群谷を西に見下ろす矢田丘陵の南部稜線上にあり、2つのピークを中心に曲輪が並ぶ連郭式の山城です。

南北300m、東西150mの規模を有し、平群町では平群谷を挟んで西に位置する松永久秀の居城だった信貴山城に次いで大きな山城です。

築城者については、室町、戦国時代に平群谷で城を構えていたことが記録に見える島氏とする説があるほか、近年の城郭研究では城郭の規模や構造などから、松永久秀の勢力下で築かれたとみる説もあります。


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その松永久秀の信貴山城が見えます。

たしかに、この近さからすると、信貴山城支城と考えるのが自然かもしれません。


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信貴山城にズーム。


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けっこうな広さです。


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立て札には、「南副郭跡 海抜217m」とあります。

その上の家紋は、島左近が用いたといわれる「丸に三つ柏」ですね。


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大きなが建てられていたのですが、風で巻き上がっていて残念。


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南副郭跡から南主郭跡に向かって北上します。

向こうにも幟が見えます。


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その手前に深い堀切が見えます。


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ふっ、深い!!

堀切を降りるためのロープが設置されています。


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堀切の底に降りてきました。


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順路に従って南主郭跡に向かいます。


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振り返って見た南副郭跡の切岸


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南主郭跡を見上げると、赤い大きなが。


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南主郭跡です。

本当の主郭北郭群の方なんでしょうが、南城北城に分断されたような縄張りの城なので、便宜上、南主郭と名付けたのでしょう。


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海抜220とあります。

南副郭より3m高いだけのようです。


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その南副郭跡を見下ろします。

その間を深い堀切が分断しています。


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島左近といえば、石田三成の家臣として関ヶ原の戦いで討死した武将というイメージが強いですが、三成に仕える以前は、筒井氏に仕えていました。

しかし、筒井順慶の死後、跡を継いだ順慶の甥・筒井定次とは意見が合わずに筒井家を辞し、その後、しばらく浪人するも、三成に口説かれて招聘されました。

「治部少(三成)に 過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」

と言われた、あの島左近ですね。


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椿井城は椿井氏が築き、その後、島氏が入り、のちに松永久秀と争奪戦が繰り広げられたとの説が主流でしたが、信貴山城至近距離のこの地に筒井氏傘下の島左近の城を配置していたというのは無理があるように思いますね。

逆に、椿井城は信貴山城支城として松永久秀が築き、久秀自刃後島左近の城となったと考える方が自然ではないでしょうか。


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南副郭跡にあった案内板の縄張り図に、南主郭跡の東側に石積みがあると書かれていたので、探してみましょう。


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草むらの中に「石垣跡」と書かれた立て札を発見。


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ありました。

石垣跡です。


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でも、草ボーボーで分かりづらいですね。

わたしがここを訪れたのは令和3年(2021年)314日。

3月でこれですから、夏になったら草に埋もれて見つけられなくなりそうです。

草刈りしてほしいなぁ。


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ほかにも、切岸斜面には大きな石が散乱していました。

これも、石積みが崩れた跡かもしれません。


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北側から見た南主郭跡


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さて、北郭群に向かいましょう。

立て札には、「主郭跡まで190m」とあります。


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ロープを伝って切岸を降ります。


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南郭群と北郭群の間の鞍部にやってきました。

が見えます。


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柵には「進入禁止」と書かれた札が。


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その説明です。

「その1」で紹介した登山口にも北郭群の見学を制限しているとの案内がありましたが、やはりそうでした。


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鞍部から北郭群の切岸を見上げると、草ボーボーでとても足を踏み入れられそうにありません。

残念ですが、攻城はここまで。


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西麓に降りて来ました。

写真は国道168号線沿いから見た椿井城跡。


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北郭群の主郭にズームイン。

あそこ、行きたかったなぁ。


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南郭群のが見えます。


城主は島左近か松永久秀か、椿井城攻城記。<後編> 南郭群_e0158128_18150492.jpg


さて、椿井城跡を攻略しましたが、西麓の史跡をめぐってみましょう。

次稿につづきます。




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by sakanoueno-kumo | 2022-06-24 22:06 | 奈良の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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