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鎌倉殿の13人 第29話「ままならぬ玉」 ~北条と比企の対立

 今回は比企の乱の序章の回でしたね。梶原景時失脚後、北条時政比企能員の対立はますます深まっていきます。源頼朝の存命中は鎌倉殿の舅という立場で幕府内の存在感を保っていましたが、その頼朝亡きあと、その立場は微妙なものとなり、逆に幅を利かせはじめたのが比企能員でした。能員は二代目鎌倉殿の源頼家乳母父でした。時政も頼家の祖父にあたるのですが、この時代、そうした血縁よりも、実際にその子を養育する乳母や乳母父の力が大きかったといわれます。北条と比企は、そうした背景から睨み合っていました。


鎌倉殿の13人 第29話「ままならぬ玉」 ~北条と比企の対立_e0158128_20040197.jpg さらにそれに付随して、北条と比企の対立には「ポスト頼家」をめぐる意見の相違がありました。比企は、能員の娘の若狭局と頼家の間に生まれた一幡を後継者に考えており、北条は、頼家の弟である千幡の後継を望んでいました。後世のわたしたちからすれば、直系の一幡が跡を継ぐのが妥当と思いたくなりますが、当時はまだ、長男が跡継ぎといった常識はなかった時代だったんですね。時政からすれば、頼家は比企のお抱えであり、その子の一幡が跡継ぎとなると、完全に比企に権力を取って代わられてしまう。その点、千幡の乳母・乳母父は阿波局(ドラマでは実衣)と阿野全成夫妻であり、北条がこれを後見していました。北条が千幡を推すのは当然だったでしょう。ドラマでは、時政と牧の方の陰謀に阿野全成が巻き込まれたかたちで描かれていましたが、全成としても、千幡が跡を継いでくれることに異論はなかったはず。永井路子さんの小説では、全成は積極的に千幡擁立にかかわっています。このあたりの続きは次週ですね。


鎌倉殿の13人 第29話「ままならぬ玉」 ~北条と比企の対立_e0158128_18070729.jpg そんななか、梶原景時失脚後の正治2年(1200年)41日、北条時政は従五位下に叙せられ、遠江守に任ぜられました。頼朝の存命中は、国司に任命されたのは源氏一門だけであり、この時政の就任は、彼が源氏一門に準ずる立場を与えられたことを意味していました。また、当時、五位以上が政所別当の有資格者だったことから、従五位下に叙せられたことの意味も大きいものでした。この家格昇進が果たせたのは、頼朝の正室だった北条政子の力が大きくはたらいた結果でしょう。頼家をめぐる力関係では比企能員に劣っていた時政でしたが、北条には政子がいました。前鎌倉殿の後家であり、現鎌倉殿の生母である政子は、頼朝の死後もなお、一定の影響力を持っていたと考えられます。


 ただ、その後も時政は政所別当に就任してはおらず、幕政に深く関わっていたという史料は残っていません。時政が積極的に幕政にかかわるようになるのは、三代鎌倉殿なってからのことです。一方の比企も、比企宗朝比企時員といった若者が頼家の蹴鞠メンバーに入っていたものの、能員が幕政に深くかかわったという記録は残っていません。幕政の首脳はあくまで大江広元二階堂行政といった文士たちで、武士では、侍所別当という立場の和田義盛と、死んだ梶原景時でした。つまり、北条時政も比企能員も、頼家の乳母父と祖父という個人的な関係での勢力争いで、組織内での権力争いとはちょっと違ったようです。


鎌倉殿の13人 第29話「ままならぬ玉」 ~北条と比企の対立_e0158128_20351959.jpg 北条義時が北条と比企の対立にどんな思いで接していたかはわかりません。当時の義時の妻の姫の前は比企一族の出身でしたからね。二人の仲を取り持ったのは頼朝だったといわれます。頼朝にしてみれば、二人の結婚によって北条と比企が結託して頼家を支えてほしいという願いがあったのでしょう。頼朝が義時に「絶対に離縁致しません」という起請文を書かせたという逸話も、北条と比企を対立させないための策だったのかもしれません。しかし、その思いは伝わらなかったようですね。


 ドラマでは、頼家の次男・善哉(のちの公暁)と一幡のどちらが嫡男かという争いも描かれていましたね。長男は一幡ですが、母の若狭局は側室。一方の善哉は次男ですが、母は正室の辻殿。どちらが嫡男だったかという記録は残っていませんが、ドラマ時代考証担当の坂井孝一氏は、正室の子である善哉こそが嫡男であっただろうと主張されています。善哉の乳母父は、ドラマのとおり三浦義村でした。後年、この善哉が歴史を大きく動かす大事件を起こすことになるのですが、それは物語のずっとずっと先の話です。今話のドラマでは、頼家がせつ(若狭局)に心を開き、一幡を跡継ぎにすると言っていましたね。この意思表示が、のちの物語にどう影響してくるのか、そこに三浦義村がどうかかわってくるのか、三谷さんがどう描くか楽しみです。


 あと、おまけのようでなんですが、13人の宿老のなかで長老格だった三浦義澄が、梶原景時の没落後まもなく病没しました。また、その数か月後には頼朝を流人時代から支えた安達景盛もこの世を去ります。ドラマでは座って眠ったままナレーションもなかったですが、あれで死んだってことでしょうか? ナレ死にもならない黙死?(笑) これで鎌倉殿の9になりました。



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by sakanoueno-kumo | 2022-08-01 19:33 | 鎌倉殿の13人 | Trackback | Comments(0)  

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